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卒業論文をやる意味とは…?

大学4年生になり「卒業論文」(通称:卒論)という課題が
目の前に現れた。
私は「やる(取り組む)意味」が分からない…と疑問を持っていたので
このnoteを書き整理していき、その真意に迫りたいと思う。


卒業論文とは…?

卒業論文(そつぎょうろんぶん)は、大学短期大学を含む)および高等専門学校に所属する主に最終学年の学生が、その最終学年の1年間を通して行う「卒業研究の成果として提出する論文」のことである

ウェキペディア

卒業論文と調べると、基本的に上記のような内容が結果として出てくる。
したがって、学生生活で研究したことの
「最終報告」としての立ち位置であることがわかった
そして、多くは卒業の条件として位置付けられていることが多い

しかし、全大学の全学部に「卒論」という制度が導入されているわけではない(文部科学省が出している基準にも記されてはいない)
また、商学部、経済学部、法学部などでは、他の学部に比べて卒業論文が課されないことが多いという

古いデータ(平成20年のデータ)にはなるが
以下のような結果を見つけた

卒業論文がある割合
・人文系学部→73.1%
・社会系学部→32.7%
・理系学部 →87.1%

著しく社会系学部の卒業論文のある割合が低いことが分かった
時代の流れ的にも、この割合が増える可能性は低いと考える

また、世界的に見ても「学部」レベル
論文の課題を課すことは多くないという

以上が、卒業論文の定義や実施割合である


卒業論文の歴史

ほんの少し調べた結果…
良く分からなかった…笑笑

私なりに推測すると、
昔からあらゆる分野に特化した人が存在し
その人達はそれを紙(文面)で記録に残すことが非常に多かった
と考える
そして、時代が進み、大学という専門的に学びにいく環境ができ、
その1つの修了目安として昔の成果報告の仕方を参考にし、
できた課題なのではないかと思う

大学のあり方が時代の変化に伴い変わっていき、
卒業論文の有無も変わってきたと思う
ただ、多くの大学や学部は一度できた制度を変えることなく、
今まで通り1つの修了目安としての位置づけを維持していると考える

社会系学部(商学部、経済学部、法学部など)に卒業論文が課されることが
少ない理由としては、
研究として一定水準を超えるのが難しいという点と
出来たとしてもそのクオリティにかける点が
あげられるのではないかと考える。

ここは、実際に大学にヒアリングしてみたい点である
(大学は冬休みの窓口は冬休みに入る期間が早く、再開が非常に遅い…泣)


なぜ、卒業論文に対して前向きでないのか?

そもそも、なぜ卒業論文に対して前向きでないのか?
前向きでなかったにても、なぜやりたくないと思ってしまうのか…?
ここが今回の1つ重要なポイントである

卒業論文をやりたくないと思ってしまう理由
・やる意味を見つけられない
「単位」のためでもなく、好きなことの発見や追及のためでもなく、
この課題をやらないとつかない能力があるわけでもない
何のために、残り少ない学生生活のうちで、
この課題をやらなければならないのだろう

ましてや、やらなくてもいい人がいる
上記の状況から考えるに、大学として卒業するために必要なスキルや知識を測る課題としているわけではない…

・自分のプラスになる気がしない
このような感情のままやっても、
マイナスになること(ストレスなどの精神面は別として)は
ないにしろプラスになることもない
また、マイナスな気持ちで取り組み形にしたにしても、
身に付くモノはたかが知れている

*「めんどくさい」「だるい」などの感情もあります
ただ、やりたくないと思う大半の理由は黒字の部分です

また、以下のような意見が出るのも理解している
*やりたくないくてもやらなければならないということはある
*自分の気持ちの問題だろ
*どうすればプラスになるかを考えてやれよ

このような声を理解した上で、私の中で、制度だからやるという
「自分の思考なしに行動すること」が将来のためにならないと思い、
今回のような考える機会を設けている

また、この機会を通して
「自分の中での納得感を持って行動する」ことが出来ないと
作業効率の低下と「自分の芯を曲げた(自分の判断基準のない人になる)」
という感覚になることを知った


やる意味を見つける旅へ
~ネットの声編~

Aさん
自由度が高く、未知なことに取り組めるのが文系学部の卒論を書く面白さ

Bさん
*卒論は学術的な意味よりも、それを書くことで
自分の考えを論理的に整理するというメリットがあります

Cさん
*卒論こそが、大学の学位の本質なのです
教科の単位は、習熟度の評価でしかないので、卒業の必要条件であって、
学位を満たす

Dさん
*追求したことをまとめる、その訓練こそが卒論である

Eさん
*高度なものは求められていないとはいえ
文献を読み、筋道を立て考察する
というのは大学にいったからには培って欲しい
自分のマネジメント経験(期日の厳守)
*大学は学ぶところであり、社会に出る猶予期間&その訓練をする場所

Gさん
*書きたくなければ書かなくていい
ただし、卒業がかかっているならやれ

Hさん
*モチベーションがない、知らん
問題を発見し解決する能力が社会では求められる
何も聞かずに、聞きながら行動するのはアルバイト
意味が見いだせないなら、退学してください

以上のような声がありました


やる意味を見つける旅
~友達編~

Aさん
*「卒業論文はやるべきもの」という認識を持って入ったからやる

Bさん
*ゼミ活動の「集大成」としてやる

Cさん
*やると決められているものだからやる

Dさん
*所属している団体として、カリキュラムにあるからやる

Eさん
*単位のため(卒業のため)

以上のような声がありました


やる意味を見つける旅
~総集編~

「ネットの声編」と「友達編」の2つの編を経て
様々な意見を自分の中に取り入れ
「大事だな」と思った点と「共通」点をまとめた

*やることが「決められている」ものである
*論理的思考力の向上
*自分のマネジメント
*文章構成力の向上
*自分と向き合う時間


共通点とそれに対する私の考え

色んな意見を自分の中に取り入れた
大きく分けて、卒業論文をやる理由は3つに分かれると考える

①自分と向き合う時間
②能力の向上に繋がる
➂やることが「決められている」からやる
それぞれに対して考えていく

①自分と向き合う時間
卒業論文を通して、自分とどう向き合うかを考えてみると
「テーマを選ぶ段階」と「自分の中での葛藤(モチベーションの問題など)」の2つかなと思う
今回の私の悩みも、後者にあたるものだと考えられる

「自分と向き合う=自己分析(自己理解)」という考え方をすれば
自分の中では非常に満足がいくくらい出来たと思っている
その理由(自分の特徴)については、最後に少し書こうと思うが
他の学生よりも非常に深くかつ多くの方の意見を踏まえながら
自分に向き合い、自分を知ることが出来た

そのため、やる意味としては強く響かない

②能力の向上に繋がる
この観点は確かにと思うが、ここをやる意味にするには弱すぎる…
なぜならば、このやり方をしなければつかない能力ではないからだ

例えば、文章構成力をあげるという目的であるなら、
このようにnoteで磨くことも可能だろう
また、卒業論文を書く中で身に付く点があるならば、
卒業論文をどのように書き上げるといいか、またその時の注意事項は何か
などをnoteにまとめるなどし、疑似的に体験しながら文章を構成する方が
効率的だと思う

結論、同じ能力を磨くのであれば、
自分自身が少しでも関心を持てる方法でやるべきである
モチベーションは吸収力(成長度)に大きく関わる

➂やることが「決められている」からやる
ここが1番刺さるし、多くの人はこれが理由で卒業論文に取り組んでいるのではないかなと思う(カリキュラムに入っているからなど)

でも、ここが1番私には気がかりな部分である


私の本当の悩み

「やる意味が感じられない(納得していない)のに、
決められていることだからといってやるのか」

自分の中で選択肢は「A、B、C」と3種類あるのに
100人中95人がAに進むから、自分もAに進むのか

私は卒業論文という課題をこのようにに捉えてしまっているから、
前に進めずにいる

「納得がいかなくてもやらなければならないことはある」
これから社会に出る私にこのような言葉をかける人は少なくないだろう

ただ、社会に出ればそれはお金の稼ぐためであるし、
自分の出世のためかもしれないと頑張れる理由が
今よりは分かりやすくあると思う

また、どうしてもでも見いだせないようであれば
私は悩むだろう…
そして、会社を辞める選択をすることもあるだろう
(生活がかかっているから、いくら貯めればいいなどの逆算はすると思う)

ちょっと脱線した気もするが
ここで言いたいことは、ただ1つ
「やらなければならないことだからといって、
 何も考えずに決断し行動する」
のは違うのではないかということ


他人に合わせることはしない

「結論」
私は卒業論文を書かない(おそらく)
これまで進めてきた分もあるし
けして終わらないものではないが
残りの学生生活でやるべきことだとは考えにくい…
かつ
少ない時間で頑張ることだとも考えにくい…

・他人に合わせることはしない
やはり「やらなければならないことだから」という理由だけで
やることという決断をすることはないと思う

どんな時でも自分の判断軸を持ち、
その決断には責任を持てるようにしないといけない

時代の変化も早く
同調圧力が強い日本ではあるが、
自分という軸を持ち、常に行動するのが、自身の強み
であるのはないかと思うため、やらないという結論を出した

これから先多くの理不尽や意味の感じられない課題に遭遇するだろう…
そんなことは、自分の軸は曲げないことを意識しよう

ただ、その時の判断は
「リスクマネジメント」をしっかりとした上で行うことだけは
忘れないようにしようと思う


番外編
~ここまで卒業論文をやってきた理由~

まず、ゼミというコミュニティに属しているから
私は「卒業論文」に取り組まなければならないという状況にある

なぜ、ここまで頑固な私が「やる意味の感じない」ことを
ストレスを感じながらもやってきたかというと

その理由は単純明快で
①チームプロジェクトの完遂
②セミへの恩返し
➂同期のため
この3点である

元々4年に上がる前に、ゼミを辞めようと思っていたが
その決断をしなかったのは「①チームプロジェクトの完遂」があったからだ
(いつかここについても記事を書こう)

②ゼミへの恩返し

この要素が今日まで頑張ってきた大半の理由を占める

私はゼミ活動の中で、様々なプロジェクトに携わってきたが
どれもチームメンバーだけでなく、多くの人に支えてもらった
特に、先輩からのアドバイスやエールは大きな力になったのを覚えている
だから、後輩にアドバイスするという形で恩を返したいと強く思っていた

私は後輩に対して大したことは言えないが、
以下の3点はしたつもりだ
・自分の思っていることを伝える
・話を聞く
・顔を出す

自分自身の自己満の要素が強い部分もあるのかもしれないが、
されて嬉しかったことはやろうと思って行動した
(本当は干渉しすぎるのも良くないかと思って、
ちょい動かなかったとこもある)

後輩は、みんないい感じの個性を持ち、
人間性もいいけど、不器用な側面が見えて可愛らしい
そんな後輩のプロジェクトも12月で全て終わった…

もう残せるものは特にないと思う…
卒業論文に関しても、サンプルが1つ増えるという点ではプラスだが
やる気もないサンプルが1つ増えたところで、大した貢献にはならない

➂同期のため

後輩よりも、やっぱり関わりの強い同期は
ある程度人間性も理解した上で、
ビックリするくらい不器用で抜けてるところのある人が多いけど
みんないい人だなって思ってるから、最後までゼミでの思い出を作りたいなと思って、頑張ってきた

ただ、今のところやっぱり
「やる意味の見いだせないもの」に
「残りの学生生活の時間を割く」というのに対して
全く納得ができない…

そして、その納得ができないをそのままにしておくことが
「この後の人生をマイナスにする」と
考えれば考えるほど思うからこれ以上は厳しいなと思う…

コミュニティに属すならば、
その中での課題をやるべきである(仁義は切るべきである)
ため、コミュニティを辞めるべきであると思う
そして、その判断は覚悟のいるものだなと思っている…

人生を後悔なく過ごすには

この決断がどう自分を左右するのかは
正直分からないが
これまで通り自分で決断をし続けて
生きる道を選択することは、振り返りやすく
人生で見た時に後悔を最も少なくする
と思う

だからこそ、自信を持って行動するべきである

この決断をし、コミュニティから離れ
もう会わなくなるようなら
社会人になって再会することはないだろう…

相手の立場に立ち、考えることが出来る人であると考えるからこそ
決別の原因になるようなことでは絶対にないと確信している

最後に、今回すごく思ったのは
今後に人生において
「楽しくなるように捉える」ということが大切である
ということ

そして、それ以上に「楽しいを選択する」ことが重要である
とても強く感じた


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