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ロードスターと私

 鍵はドアノブのボタンで開けた。
遠隔で開けられるが、いつもそうしていた。
鍵の入ったポケット、鞄の中に手を入れるのがおっくうだったから。

 ドアは手を添えながら開いた。
いささか長いドアは、気をつけないと隣の車に当たってしまう。
当たれば、塗装が落ちて白くなる。
助手席側から降りた旅行先でのこと、ポールにぶつけたあとのテンションはそれはもう。

 エンジンボタンは左手の人差し指で押した。
中指だとロックすぎるし、親指ほどテンションは高くない。
薬指は押しにくいし、小指はなんか気持ちわるい。

 動き出しは吹かしすぎないようにした。
純正マフラーだと何だか恥ずかしい。
それに吹かさなくてもエンストはしない。
意外にトルクはある。

 2速にいれるときは親指で引いていた。
なぜだか1速から2速に入れるときだけ固い。腕全体で動かすのも面倒で、親指の引く力を使った。

 幌を開けて閉めるときは腰を浮かせた。
なんだ開閉が軽いって言ってた人は。
怪力なんじゃないか。
かなり頑張って、ようやく幌は閉まる。
 
トランクに入れる荷物は事前に少なくしておいた。
思ったよりかは入るのだ。
だが油断するとトランクは閉まらなくなる。
内部の横や奥の方向に若干広がっている部分に、うまく荷物を入れ込むのがポイント。
 
 夜の峠は虫との格闘。
車高が低いからフロントガラスも低い。
走ってると虫とガラスがいささか激しい出会いをしてしまう。
ウィンドウォッシャーでは落ちない汚れを残して、彼らは去っていく。

 夜、ミニバン、前に来ても後ろにきてもすごい。
前に来れば舞台照明。
後ろに来れば車内はライブステージ。
ルームミラーは暗くする機能があるからまだマシ。
サイドミラーはどうしようもない。
前も防ぎようがない。
目を細くして耐える。

 たまに眩しすぎて前の道がどうなっているか分からなくなる時がある。
あれは本当に怖い。
速度を落として、ナビを頼りに走る。

 新車購入から半年もせず、異音で自己主張をはじめた幌は全交換になった。
音がしてくる場所と異音の原因の場所は違ったりする、この車は音の判断が難しい。
ディーラーの整備士が話す内容を聞きつつ、エンジニアの難しさに思いをはせる。
2代目の幌は1年半経つが、やはり異音と共存中。
しょうがないかな。

 朝、夜の通勤中。
手を振り合う素敵な文化はこの時間帯には存在しない。
振ろうという気は全くおきないし、向こうも同じだろう。
いつもすれ違っていた、紫色のホイールにキャンバーめっちゃつけたシャコタンの白色。
元気かな。

 色々あるけど、愛されてるこの車。
「速さは麻痺するが、楽しさは麻痺しない」と誰かが言っていたが、その通りだ。
決して速い車じゃない。
けど、いつも楽しい。

 コンビニに行くまでの5分。
ショッピングモールに行くまでの30分。
遊びにいく1時間。
帰省する時の5時間。
下道で帰省する9時間。

 友だちと旅行しに行く時。
知り合いを迎えに行く時。
遊びに向かう時。
家に帰る時。

 好きな曲をかけるとき。
幌を開けた環境音が音楽になるとき。

 春の匂いを峠道で楽しむ。
夏の夜にようやくオープンにできるうれしさ。
秋の紅葉に快適な気温。
冬の3℃まではいける、以外に快適なオープン。

 全部が楽しい。楽しかった。
 ただ走るだけで。
ただハンドルを曲げるだけで。
ただギアを変えるだけで。
楽しさはずっとあった。 

 移動手段でしかなかった車は、趣味になった。
 そして、この車を数ヶ月後に手放さなければいけない。
維持する方法も考えたが、厳しい。

 今はまだ、維持できない。
けど、いつかまた所有したい。
古くなって、パーツも少なくなって、維持費に頭が痛くなろうが。
それでも乗りたい。

 狭っ苦しく、室内収納は皆無に等しい、およそ走ることしか考えていないこの車に。

 とはいえまだ乗れることに感謝しつつ、精一杯楽しみたい。
この車を所有できて良かったと、後悔がないように。