これこそが本当の「お見立て」か!? 古今亭文菊の基礎体力
先日は、
文菊氏の『お見立て』を拝見。
①嫌いな男の座敷には行きたくない
ならば自分は病気だと嘘をつき、
②お見舞いに来ると聞けば、
病気は嘘で、実は死んだと言わせ
③墓に行くと聞けば、
墓は遠くと言えと嘯き
④『墓は近く』と伝えたと聞けば、
連れて(お前が)行っとくれと突き放す
そんな
喜瀬川花魁を人物設定するとき、
多くの演者は
やや気性のはげしい、
シャキシャキとして、
せっかち目、
結果として人使いが荒(粗)い。
そんな女性を演じるようだ。
それは、
喜瀬川の言動に説得力を生むが
若衆(妓夫)の行動の説得力は弱める
花魁は看板。
若衆は裏方。であるとはいえ、
そんな喜瀬川のため、
動ききる若衆の『動機』が薄い。
多くの演者がやはり『若衆の動機』を
ー ここまできたら自分も意地です ー
と、ヤリキル事への(若衆の)モチベートに掏り替えてみたり、
ー バレたら自分もあなたも只じゃ済みませんよ ー
と、連帯責任を強調してみたりと
苦心している。
志ん朝氏にも喜勢川に、
若衆への『礼金』を口にさせている時期がある。
また、
そんな喜瀬川に
いくら鈍い御大尽とはいえ、
あんなにも惚れ込むものか‥という
ー そもそも論 ーも漂う。
先代の馬生氏はまくらで、
ー ぞんざいに男をあしらう ー は、
男に『素の自分』を見せている
=『俺は本当に惚れられている』錯覚を醸す→『媚態のテクニック上級者編』としてさりげなく紹介し、
ー 荒っぽい喜瀬川 ーへの説得力の補強を試みている。
お見立てとは
つまりそういうお噺であり、
是も非もない。
そう思っていた。
で、
文菊氏のお見立てであるが、
目から鱗であった。
名人を含む、
多くの噺家が陥っている構造を、
事も無げにひっくり返す。
人使いが荒い イコール
振舞いも荒い →ではない
そうだ。
そりゃそうだ
納得の、文菊氏の喜瀬川花魁は
口を小さくして、
墓行きをやさしく指示しながら、
胸の前で小さく手を合わせる
ンもー。ワかりましたよおー
文菊氏は若衆に、
そんなニュアンスを言わさない
一瞬の表情だけで
それを仄めかす。
代わりに私が言いたくなる。
この、いやじゃない降参感。
文菊氏の喜瀬川に
お見立てという噺の、
本来の姿を見た気がした
初出 Instagram2019年6月11日
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