お題短編その2「彼には敵わない」後編

実を言うと、私は小説はあまり読まない。

義務教育時代はそこそこ読んだりもした。シャーロック・ホームズも「マダラの紐」や「バスカビル家の犬」など、有名どころには触れた事がある。

しかし進学だの進路だの、人生の本番が迫って来るにつれ、私は本を読まなくなっていった。単純に時間的な余裕を失っていたのもあるが、読書とは余暇であり人生からは省かれるべきもの、という考え方に染まってしまったからだと思う。

「また負けだ。」

吉田 名探偵(コナンドイル)は悔しげに言った。

私が推理小説研究会に入ってから2ヶ月が過ぎていた。吉田のこのセリフを聞くのは3度目だ。彼はネット小説・出版社のコンテストなどにかなりの頻度で小説を応募している。

「『対岸の火事』が佳作止まりとはな。バケモノはどこの世界にもいるというわけか。」

今、佳作と言ったように聞こえたが、確認すべきだろうか。

「最優秀賞の作品を読んだが、負けを認めざるを得なかった。面白さが段違いだった……そうだ、お前も読んでみろ。たまには俺以外の作品もいいだろう。」

独り言が突然こちらに向いた。反応出来ないことはないが、言葉に詰まった。吉田の勝ち負けの基準が思っていたよりだいぶ高かったからだ。ひょっとすると他の落選も実は入賞してたりするのかもしれない。

「この『白昼夢』は同じ推理小説でも俺のとはジャンルが違う。しかも俺の好みではないジャンルだ。にも関わらず、この作品には度肝を抜かされた。」

敗北したとは思えないほど楽しそうに喋る。そういえばこの表情には見覚えがある。高校の頃の同級生、一緒にハンドボール部に入ったクラスメイトだ。中学の時からの経験者で、部内戦にも早くから参加していた。あの幸福に満ちた笑顔は上級生に負けた時に―

「よし、『白昼夢』のデータを送っておいたぞ。そういえば『対岸の火事』もまだ読ませていなかったな。今回は二本立てと行くか。」

いつもは鬱陶しい吉田の行動の速さに、初めて感謝した。今の私は推理小説研究会の一員だ。

「あまりこういう事は言いたくないが、俺の『対岸』を先に読んで欲しい。差があり過ぎてな、まさに月とスッポン……は少し違うな、さしずめ太陽とイカロス、と言ったところか。」

太陽とイカロス、か。

私は自室に戻り、勉強机に座って、お茶のペットボトルを置き、データを開いた。ここ2ヶ月、彼の作品を週に一本は読んでいるため、今ではこの手順が習慣となっている。

そして指示通り小説を読み始めた。言われた通りに、『対岸の火事』からだ。今日はバイトもなく暇なので、ずっと読んでいるとしよう。

『対岸の火事』は、被害者は殺人や窃盗に遭うのではなく、SNSなどの炎上、すなわち社会的抹殺を受けるというものだった。探偵役は炎上対策の弁護士で、無関係に見えた炎上事件に共通の仕掛け人がいたと気づき、真相究明に乗り出す。物語後半で犯人が自首するが、その人物が人気沸騰中のアイドルだったことで、大量の模倣犯が出現してしまう。犯人の「誰もが加害者であり被害者なんです」という発言をスローガンに掲げた無差別炎上テロとも呼べる行為が、流行病のように広がっていく。主人公は別件で相談を受けていた大物タレントの引退騒動を利用し、流行を塗り替える形で事件を沈静化したが、「凶器が大衆心理である以上犠牲者がゼロになることはない、炎上は誰にとっても対岸の火事とは言えないのだ」と、世を憂うセリフとともに物語が終わる。

吉田の作品で社会派ミステリーは初めてのパターンだった。いつものような殺人事件ですらない。しかし読み手をハラハラさせるような展開は健在で、彼の才能には改めて感服させられた。

だからこそ、痛烈に思うのだ。

私はこの場所に相応しくない、と。

私は入会してからの2ヶ月間、彼の作品を楽しんでいた。どことなく陰のある作風も気に入っている。登場人物の生々しい心の闇の描写も含めてだ。正直、褒めてばかりで欠点を指摘したようなことはあまりない……彼の言った、「闇を評価」することはできていないのだ。

吉田があれだけ褒めるくらいだ、『白昼夢』はさぞ素晴らしい作品に違いない。でも私に、その差を読み取ることが出来るだろうか。彼は自らの作品をイカロスに例えたが、私から見れば『対岸の火事』もそれを書いた吉田も「太陽」なのだ。地上の人間が直視するにはあまりに眩しい。

吉田から2つのデータを受け取ってから既に3日が経っていた。いつもの様に読み終えた連絡をしようかとも思ったが、そもそも『対岸の火事』はオマケのようなものだったことを思い出し、そのまま次の作品に進むことにした。

『白昼夢』は推理小説と呼んでいいのか分からない作品だった。強いて言うなら青春ミステリー、と言ったところか。

『白昼夢』の主人公は14才の、発達障害の少女だった。いや厳密には読み手には発達障害と思われるが、少女自身は自覚がない、という設定だった。彼女は周囲の人間とのコミュニケーションがちぐはぐで、いつもそれを不思議に思っていた。学校に転入して来た生徒の失言がきっかけで、身の回りの誰かが心の中で自分を悪く言っているのではと疑い始める。そう、犯人探しを始めるのだ。友人達が止めるのも聞かず、調べていくうちに誰かどころか、誰もが自分を悪く言っているのではないかと思い始める。

私は休憩を入れ、ため息をついた。勝手な予測だが、この後少女を待ち受けるのは痛々しい孤独だろう。周囲の人間との差を知った時の、あたかも自分だけ置いていかれたかのような感覚。

4年前、私がハンドボール部を辞めたのは、その感覚が原因だった。他の部員には情熱があり、ヴィジョンがあった。私の残りの高校生活もそのまま惰性に終わり、受験にも失敗した。

それでも私が続きを読み始めたのは、この作品にハッピーエンドを期待していたからなのかもしれない。

ついに少女は自分が発達障害だと知る。彼女はショックを受け、自暴自棄になって家出をしてしまう。いっそ死んでしまおうと駅の構内に入るが、そこでたまたま例の転入生と出くわす。少女が家出中とは知らず、転入生は再び心無い発言をしてその場を去ってしまうが、少女はその言葉の端にもう1つの別の真実が隠されていることに気付く。彼女は駅のベンチでひたすら記憶とメモを頼りに推理を続け、ついに「自分の障害が隠されていたのは、両親や友人達や学校の教員が自分を守るためだったのではないか」と思い至る。ちょうどそこへ少女を探しに来た友人と出会い、自分の推理を話す。真実を確かめた彼女は納得して友人と共に帰路に着いた。

いつの間にか私は泣いていた。研究会に入ってからは初めてのことだった。単にハッピーエンドだからというだけではなく、作中の登場人物の苦しみと優しさ双方が滲みたのだ。そして私も、少女と同じように、ある真実を見つけた。

「どうした、今日は随分と元気そうだな。」

とんだ名探偵もいたものだ。私は前置きもなく尋ねた。

どうして『白昼夢』を、自分の作品でないなどと偽ったのかと。

「さすがにばれるか。」

彼は朗らかに白状した。

「ちゃんと理由は話す。それよりまず思ったことをを聞かせてはくれないか?」

この、手の上で遊ばれている感じ。そうだ、この男はこういうやつなのだ。頭が切れて、常人離れしていて、とても失礼。敵う気がしないのがとても悔しい。

私は話した。「『白昼夢』がとても面白かった」こと、「まるで自分に向けて書かれたかのように感じた」こと、「君は他人のコンプレックスを勝手に推理するようなやつだ、心に刺さりそうな作品を心に刺さりそうな順番で勧めてくるぐらいはやりかねない」ということを。

私の心をどこまで見抜いているのか、とも聞いた。

「そうだな、信頼の為には俺も話しておかないとな。」

よくもまあぬけぬけと。

「『白昼夢』は俺の去年の作品だ。お前を意識したものではない。ただ、お前は昔の俺に似ていたからな、試しに読ませてみた。」

過去作だったとは意外だ。

「俺はこんな名前の上にこんな性分だ、周囲の人間と健全な人間関係を作れず、悩んでいたことがある。だが「差があること」と「違っていること」は似て非なるものだと、『白昼夢』を書いているときに気づいた。この話は当初、主人公が自分の障害に気づいたところで終わる予定だった。」

いつもの暑苦しさはどこにいったのか、落ち着いた物言いだった。

「お前の心の闇にケチをつけるわけじゃないが、何事も深く染まれば視野が歪む。俺の数少ない友人を放ってくことはできなかった。しかし正攻法じゃ意固地になってしまいそうだったからな、他人の作品だと言って読ませてみたわけだ。」

唐突に、視界が歪んできた。視野ではなく。本当に、本当にこの男には敵わない。

「さて、柄にもなく湿っぽい話をしてしまったな。ところで、おまえはもう二十歳か?酒でも飲みながら『対岸の火事』の方の感想が聞きたい。」

もう彼の方をまともに向いていられなかったが、「君こそまだ未成年のくせに」と私は強がった。

「何を言っている?俺は今年21だぞ?」

……え?

「いつから年下だと錯覚していた?俺は一年生だが、今年で三周目だ。執筆活動に専念しすぎてな、実家に帰るたびに「迷探偵」と祖母にからかわれるのだ。」

頭に電流が走ったような気がした。確かにこの男、サークル勧誘の伝統を知っていたり、空き教室を妙に把握していたり、初対面の私を浪人生と見抜いたりできたり……今年度一番の納得だった。

「ほら、早くいくぞ。俺たちの時間は貴重なんだ。」


入川礁/役者/脚本/舞台/ボイスドラマ/映像/showroom/Twitter



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