小説「自殺相談所レスト」7-1

自殺相談所レスト 7-1


登場人物
関モモコ……嶺井の助手。クッキーを焼ける。
富山タケル……ホームレス。48歳。アルコール依存症。


 関モモコはよくレストの留守を任される。嶺井が『お見送り』遂行のために出かけてしまうからだ。だがそもそもレストは予約制のため、嶺井の留守の間に相談者が来ることはまずない。唯一の例外だったチヨもここのところ来ていないようで、関はかなり暇を持て余していた。

「関モモコの、かくし芸大会~!イェーイ!!よとっちゃんの物まねします……『おう、モモコ、リュウの奴はどこだ?二万ほど借りたいんだがよ……大丈夫大丈夫、今度は勝つからよ、二倍にして返してやるぜ』……95点!!関モモコ選手、高得点です~!!」

 関はため息をついた。自分のやっている事のむなしさに気づいてしまったのだ。

 今、事務所は関以外に誰もいない。決して珍しいことではない。こういう時関は大抵、事務所の掃除をしたり、相談者に出す茶菓子を作ったり、空手の自主稽古をしたりするのだが、今日に限って、全部それらが片付いてしまったのだ。

「誰か来ないかな……」

 関は思わずつぶやいた。その時だった。

「あ……」

 階段を上ってくる足音が微かに聞こえた。ゆっくり、一歩一歩、踏みしめるように上ってきている。足音を立てないように動いているようだったが、関は耳がいい方だった。

「三階まで来た……」

 関は入り口のドアの前に立った。依頼人ならば、出迎える必要がある。

「あ、止まった。」

 足音はちょうど、ドアの向こうで止まっているようだった。関は、嶺井が以前こう言っていたのを思い出した。

「このドアはね、言ってみればあの世への入り口だ。開けてしまえば、死へと踏み出すことになる。依頼人たちはみんな、このドアの向こうで悩むんだよ。」

 関は思い切って、ドアを開けた。

「うわっ!!」

 ドアの向こうにいた男が、声を上げて飛びのいた。ひげも髪も伸び放題な、全体的にみすぼらしいなりの男だ。

「こちらに用がおありでしたら、どうぞ。」

 関は、嶺井がいつもやっているように、愛想よく笑顔でそう言った。

「あ、ああ……えっと……」

 男はたじろいでいた。

 やっぱり、緊張してるのかな。

「お、お嬢さんは、もしかしてここのスタッフかい?」

 男が尋ねてきた。

「はい、関といいます。レスト代表の嶺井は本日事務所を開けておりますが、私でよければ話を伺いますよ。」

 男が驚いた顔をした。

「え、まだ子供だろ、君。」

「16ですけど、助手として雇ってもらってます。」

「へぇ、しっかりしたお嬢さんだ。」

 褒められて、関ははにかんだ。

「それは子供っぽいね。」

 関は真顔になり、咳払いした。

「失礼しました。中へどうぞ。」

「いやいやいいって、俺、出直すからさ。」

 その時、男のおなかが鳴った。

「お菓子、食べていきます?」

 男の名は富山タケルといった。関は富山を応接室に迎え入れた。紅茶とクッキーを出すと、彼は泣きながら食べ出した。

「ありがとな、関さん、ほんといい子だよ君は。」

「そんなにおなか空いてたんですか?」

「俺はそこの公園に住んでるホームレスでさ、食うに困る日もあるんだよ。」

「じゃあ、あなたがここに来たのは、その暮らしが嫌になったから、ですか?」

「あ……そ、そうだな、そんなとこだ。」

 富山の態度ははっきりしないところがあった。

「で、でもよ、俺は金がねえから、安楽死は受けられないだろうな……」

「そこは気にしなくていいですよ。『お見送り』サービスの料金は、所持財産の半分をいただだくんです。これは、入院生活が長い方や、自己破産した方など、経済力がない方への配慮なんですよ。」

「そ、そうなのか、ほとんど無一文の俺でも、依頼できるのか……」

「ええ、ただ。この情報は言いふらさないでくださいね、安易な自殺を促進してしまわないように、ホームページにも載せてないんです。」

「いろいろ考えてるんだな、すごい……俺ももっと、いろいろ考えて生きていれば、こうならずに済んだのかな……」

 富山はまた泣き出した。関は何か慰めの言葉をと思ったが、いいものが思いつかなかった。

「あの、富山さん……なんか、すみません……」

「いや、いいんだ、悪いのは俺なんだから……関さん、俺はな、酒で人生を失った、アルコール依存ってやつさ。」

 酒……関はその単語が嫌いだった。

「俺は家族がいたんだ、嫁と娘だ……最初は幸せだった。俺は日本一の幸せ者だと思ってたよ。でも仕事でやらかして、やけ酒で酔って嫁と娘に当たっちまった。」

 関の父親も、酔うと彼女を嬲った。

「酒はもともと好きでよ、嫌なことあると忘れたくて飲むんだ……でもなんでかねえ、そういうときの酒は不味くて、嫌なことも忘れられないんだよな……だんだん無茶な飲み方するようになって、そのたびに家族に当たって、次の日の仕事も上手くいかなくて……」

 関は、富山に見えないように拳を握り締めていた。心臓が高鳴っていた。ずっと蓋をしていた感情が、心の中から飛び出そうとしていた。

「俺は首になって、家族にも逃げられた。もう何もかもあっという間だったなあ。アル中治そうと病院に行こうとも思ったんだけどよ、怖くなっちまったんだ。酒をやめたくなかった。そんで何もかもから逃げて、気づいたら公園暮らしさ。今でも俺は酒を飲んでる、酒のない生活は考えられないんだ……」

 関は、絞り出すように、一言、

「辛かったでしょう。」

 とだけ言った。嶺井ならこういうだろうと思ったのだ。

「ごめんな関さん、こんな話聞かせちまって。」

「いえ、そんなことないですよ、お話は嶺井に伝えておき、」

「それはダメだ!!」

 富山の態度は豹変していた。何か、焦っているような、怖がっているような、そんな反応だと関は思った。

「あ、いや、その、まだ死にたくねえとも少しは思うからさ……今日は、帰るよ。」

「わかりました。」

 富山の不自然な態度が気になり、関は自身の感情を忘れていた。

「なあ、関さん、また来てもいいか?」

「ええ、構いませんよ。明日もこの時間帯は私しかいませんから、いらしてください。クッキー多めに焼いておきますね。」

 テーブルの上のクッキーは食べつくされていた。

「ほんとに、お嬢さん、いい子だなあ。ありがとう、今日は本当にありがとう。」

「お気になさらず。」

「じゃあ、また、明日。」
 
 富山は帰っていった。関にとって、彼は決して好感の持てる相談者ではなかったが、初めて自分一人で仕事をしたのは、なんだか少し誇らしい気分だった。

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