わたしとあなたとの間にあるもの

コミュニケーションの上で、必要だと思われる「ノリ」

自分にとって「ノリ」(会話のテンポ感)は課題だと思い、前回の投稿から一週間、試行錯誤してみた。

まず、前回の投稿でコメントをいただき、思い出されたことがある。わたしは、はじめからテンポよく話ができなかったわけではなかったこと。
小学生の頃はおしゃべりで、思ったことをはっきりと言える方だった。(これは、「ノリ」とは少し違うだろうが...)

中学生になって、自分の言葉によって相手を傷つけたり、苛立たせたりする経験を幾度かした。そして、そのことをわたしは必要以上に気にしすぎたために、言葉にする前に「考える」ということを頭で行うようになり、その結果、言葉を発するのに時間がかかったり、相手に伝えること自体をやめたりすることも多くなった。

そのままの思いを口に出すということは、相手を傷つける場合もあるから注意しなくてはならない。その時、学習したことはそういうことだ。
そして、次に、自分が行動したのは、あまり自分の考えを口に出さないようにしようということ。もっと言うと、自分の世界に閉じこもろうとすることだったのかもしれない。

だから、中高生時代は、「ノリ」とは掛け離れた世界で生きていた。

今思うと、それもそれで、いい体験だったと受け取ることができている。
自分の思いを忠実に汲み取り、言葉をていねいに扱おうとする人が、わたしは好きだし、自分もそういう人でいたいと思う。だから、前述した経験も、深く内省して考え、言葉を大切にするきっかけになったのだとしたら、よかったのだろうと。


それでも「ノリ」の良さも身につけたいと欲が出たのは、前回も書いたように、とある小学生の男の子と仲良くなりたかっただけで、いたってシンプルでそれ以外に理由はない。

今日は、男の子からダジャレをいきなりブッこまれたので、無表情のまましばらく硬直してみた。

硬直を解いた後、
「なんか急に寒くなったわ〜」と言ってみた。相手の反応を確かめる。微妙に口角が上がったので、好感触だったようだ。

すると、また、別のダジャレをブッこまれたので、冷めた目で相手を見つめて数秒間。
「なんか、寒過ぎて固まってもうたわ」
相手は笑っている。どうやら、功を奏したようだ。

次に、自分がダジャレを言ってみたらどんな反応をするか気になったので、意を決して言ってみる。
相手は冷めた目でこちらを見ている。これは、本当に冷めているわけではなく、楽しんでいるのだろうと解釈していいだろう。

いろいろやってみて思ったのは、「言葉」に重きがあると思いきや、相手のわずかな表情の変化、動作などを、よく見ることが必須だということ。
そして、まずは自分と相手との関係性の土台ができていなければ、そもそも「ノリ」の会話は成立しないが、ボケたり突っ込んだりする中で、自分と相手との感覚の違いや、距離感などを推し量っていく気がする。
これは、極めて高度なコミュニケーションの形だといっていい。

ただ、自分が嫌だと感じるならノリに合わせる必要もない。本当に対等に関係を築くことを目指すのなら、自分の感情を第一に大切にすることだ。そうでないと、相手主導の関係性になってしまうから。

関係性も「ノリ」も、相手と自分の間にあるもの。少しずつ作っていくもの。迷ったり悩んだりしながらもゆっくりと築いていくものだろうかと思った、試行錯誤中のわたし。


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