眠れない日々。
眠れない日々を過ごしている。昨夜は、言葉通りなのだが、もう発狂した。眠れない恐怖って、なんというか、底なし沼みたいなのだ。
夜10時半には床につき、ネットやスマホを見ない。音声だけを流し、深呼吸しながら、瞑想したり、楽しい想像をしたりして、時を過ごす。あっという間に時間は流れるものだが、そのひと時は永遠にも思われる。
目を瞑りながら、「だるまさんが転んだ」を「眠りさん」と自分の二人で行っているイメージが浮かんだ。
いつか、眠りが気づかずうちに自分にタッチしてくれないものかと想像したが、自分でも壊滅的な想像だと嘲笑する。
暑いのがダメなのかと、冷房をつけたり、氷を口に含んだり、頭を冷やしたりしてみた。下に敷いているマットも熱がこもっているように感じて取り去った。
考え事はあらゆる方向へ飛んでいく。
普段、「今ここ」の意識に集中しているわたしだが思いがけず、5年後、10年後のことを考えると一気に恐ろしくなった。
絶望との向き合い方とは、試行錯誤を繰り返した後、克服している。(かつては絶望に埋もれ、自分を見失い、心を傷つけまくっていた)
なので、ただ流れゆく感情を眺めては、通り過ぎるのを待った。そして、自然に通り過ぎていったようだ。
眠りに誘われたのは、午前2時半ごろ。
前日は睡眠時間50分だった。
起きてから、何もする気になれず、1日を過ごしていた。近畿大学の卒業式にゲストで呼ばれた、又吉氏と、堀江貴文氏の動画を見ていた。
又吉氏は、「排水口を眺め続ける日や眠れない夜」をどう乗り越えるかみたいなことを話していた。
「これは、次にいいことが起こる“フリ”だ」
「バッドエンドはない、僕たちは途中だ」
まさにピンポイントに心に刺さる言葉だった。ただ、当のわたしは、寝ぼけているのか、無感情になってしまったのか、心は揺さぶられない。(きっと、心に種は蒔かれたとは思う)
今日は郵便受けに、子どもから手紙が届いていた。以前受け持っていた2年生の子が、もう5年生になったらしい。
裏面を見てみると、「仕事がんばってください!」と大きく書かれていた。
わたしは先生でいられるのなら、ずっといたかった。でも、子どもの笑顔のために何ができるか、自分にできることを…という思いが拭いきれず、今に至る。今の自分は本当に情けなく、何もできていない自分に嫌気がさす。
でも悲観的には思っていないし、必ず事を成す気持ちはあるし、できるとなぜか信じている。
なぜなのか。
多分、この手紙に答えの一つが含まれているのだろう。
今日は無理に寝るのをやめる。
又吉氏の「劇場」を買ってきて、夜に思う存分、読もう。それでも眠たくならなければ、絵でも書こう。星の王子さまでも読もう。
ああ、遠回りしている。
でも、今、全力でできることといえば、そういうことなのだ。ちょっと自分の中でスイッチが入った感覚がある1日。
#エッセイ #コラム
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