脆い部分をも愛する
人はだれしも弱くて見せたくない部分がある、
という。
弱くて見せたくない部分。
それは、成長によって克服されるのか?
わたしが考えるに、半分はそうだといえ、残りの半分は難しいといえる。
自分の扱い方を知ることで、そういった弱さもだんだんと、うまく操縦することができるようになってくるだろう。
簡単な例を挙げると、わたしは人混みが苦手だが、ノイズキャンセルのイヤホンをつけて音楽を聴くことで、半分以下にストレスが軽減された。
それでも、聴覚系が敏感なわたしは、さまざまな声が行き交う場で、人と会話することがあまり得意でない。同じ理由で、大勢の飲み会も苦手だ。
そのことを自分でわかるようになってからは、飲み会はなるべく断るようにし、人と会う時には静かな場所で話ができるように準備するようにしている。
ただし、それは対処的な問題解決であり、自分自身の特性や課題は変化しづらいものだ。
そして、いいように捉えれば、それは、その人独自の個性だったりもするから、無理に変える必要もない。
「弱い部分」は、なるべく壊れないように何重にも壁を作っている。
強固なため、普段は壊れることはない。
日常生活は通常通り行える。
ただし、何かのきっかけで一つその壁が崩されてしまうと、自分を守るために心を閉ざす手段をとってしまう。
いったん崩れると、非常に脆くて、自分では修復に時間がかかる。改善策が見つからず、心の中に閉じこもるほかに、手段が見当たらない。
何度、そうやって自分の心を閉ざしてきたのだろう。
脆い自分。
認められない自分。
そんな自分を変えようとずっと思ってきた。
だけど、いいじゃないかと思い始めた。
もう脆いままで。
脆くて、壊れて、閉ざして…
だけど、また立ち直れる。
自分に立ち戻り、前を向ける。
脆い自分も自分。
弱い自分も自分。
それも自分ならば、ぜんぶひっくるめて愛せるようになりたい。
それが、「無条件に愛する」ということなのだと思う。
サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。