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不安が思考の半分以上占める前に

昨日、住んでいる部屋のキッチンの蛇口が水漏れで…という話をnoteで書いた。(あまりにも、長文で、感情を制御しきれておらず、不快感の残るものになっているので消しました。)

今朝、修理に来てもらって、解決した途端、心の靄が晴れていくように思えた。「ああ、それだけ不安で埋め尽くされていたんだ」と改めて実感する。

いくつかの不安だったら、それが燃料になる場合もある。生きている上で、不安や悩みは、必ず降りかかってくるし、あって悪いものでもない。ただ、大きすぎる不安や、処理しきれていない懸案事項がありすぎると、目の前が真っ暗になってしまいそうになる。そして、いい出来事ですら感じ取れなくなる。
事実、今回の件では、そうなっていた。

いつ、直るの?
もしかしたら、二次災害を引き起こしてる?
対応が遅すぎて、仕事にも迷惑がかかる。

解決されずに放っておいた不安は別の不安を生む。そして、自分の頭の中が不安で半分以上埋め尽くされていくと、生活上に支障をきたす。

職場でもいつもなら起こりえないミスを起こしたり、カギを落としていたり(すぐ拾っていただけた)そんな感じで、まともに「自分」を保てなくなる。

不安をすぐに解決していき、思考を空っぽに保っておくことも大切だし、普段はそうしているが、イレギュラーなことが起こった時には、どれだけ「自分」を保てるかが肝になると思った。

環境の変化や、周りから無下にされることは、自分の外側で起こっている現象。それをどう受け取るかは自分次第で、自分の内側は自分で守ることができる。

わたしは、今年初めに、伊勢で「自分の心を守り切る」と決意した。時に、翻弄されることもあるが、そこに戻りさえすれば、外側で起こっていることに一喜一憂することなく、自分の感情を大切にしていける。

今回のことで、不安はすぐに対処していくこと。そして、不安が思考の半分以上を占める前に、自分自身を大切にすると強く決心することが大事なんだと思わされた。


ぶれそうになったら、自分を労わってきた。

この際だから、コンビニの食材で一番食べたいもの、片っ端から食べてみた。お水を止めてはいたけど、お風呂の間は水を出して、その時だけは入浴剤を入れて、お気に入りのシャンプーで洗ってゆっくりした。修理中も、好きな音楽を聴いて、執筆をしていた。

落ち込んでいい。十分寝ていい。不安を吐露していい。全部許した。

いつか、また前向きになるとわかっていても、そうするととても回復が早かった。

不安との向き合い方。学ばされました。

#エッセイ #考え事 #不安



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