向き合うとは~まとめ~
「向き合う」について考えたことをまとめます。
このところ、ずーーーーっと考えてた。今も。
「向き合う」ことは、骨が折れることだった。
やってみたら、わかる。向き合ってばかりではいられない。
例えば、今回の地震に対しても向き合おうとすると、自分のこころは疲弊し、もちそうになかった。
だから、敢えて、ニュースを見ないようにしたり、一日中寝てばかりだったりした。
それは、自分を守る術であるということは、わかるものの、自分の弱さが苦しい。
自分自身の最大の課題である、
「向き合う」ということ、に決着をつけたい。
今から、綴る内容は一般的な解決策ではない。解決もしてない。
しかし、自分なりの「向き合う」上でヒントになることは何か。それを、書き留めておく。
①ありのままの自分でいること
しかし、ありのままの自分を愛そうね、と答えを求めるのは、あまりにも乱暴である。
どうしたら自分を愛せるの?
それができなくて、もがいているのではないのか?
そう、それは、そうたやすくできることではない。
だから、ここでは、「我(が)をなくす」ということを提案する。
我をなくすというのは、世の中をよく知ることでもある。世界がつながっているということを自覚すると、自分が何者でもなくなり、世界の一部だと思える。また、世界は自分がいて構成されている。
我をなくすには、余計なものを全部とっぱらうのがいい。
そして、余計なものがなくなった素の自分を自分として生きると決めること。
②自分のこころをまっすぐ向ける
こころが難しければ形から。
目を相手に向ける。
体を相手に向ける。
何かをしながらではなく、何か別のことを考えながらではなく。
③細胞を総動員させる
情熱をそこにすべて注ぎ込みたい。
我をなくしても、我忘れず。
④自分からこころを開く
受動的なものでなく、自ら相手にこころを開くことで、築き上げられるもの
⑤向き合う=一体になる
向き合う。それは相手があってのこと。
相手も自分と同じように、「向き合う」ことをしてくれるのであれば、違うものになりうる。
2人だけにしかわからない世界がそこに生まれる。
仕事や生き方もそうなる。
その人が生き様に現れる。
その人が仕事に生きてくる。
⑥大切にしたいこと 大切にできることに向き合う
「向き合う」のは骨が折れること。
安請け合いはできない。
大切にしたいこと。
そして、それを大切にできる覚悟があるものに向き合おう。
以上。
長い旅だった。
迷いに迷い、ようやく、落ち着いたことばたち。まだふわふわ浮いている気もするけど。
「向き合う」ことをよりいっそう大事に思えた。今回まとめたことを、忘れないためにも綴ることができてよかった。読んでいただきありがとうございました。
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