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詩集を鞄に忍ばせる
最近、立て続けに詩集を買った。
長田弘、銀色夏生、伊礼亮。
この前までは、ずっと「アルケミスト」という小説を鞄の中に入れていたのだけど、今は、ポケット詩集を忍ばせておくのが、好き。
実のところ、「詩集を読む」という習慣はなかった。「詩を書くこと」は、思春期の頃から行っていたわけだが、他人の詩には興味が全くなかった。(今もあまりない)
このところ、なぜだか、詩に惹かれるのは、沈み込みたいと思うときが、よくあるからだ。詩を読んでいるときは、ずぶずぶと、内面の奥深くに入り込む感覚がある。
世界から遮断されたくなる時、自分の内側に沈み込みたいと思う。
これは、決してネガティブな意味合いではなく、心のざわざわが大きくなってきたり、不安や悩みなど頭の中に占めているノイズが増えてきたりすると、一旦、世界と切り離された場所に行きたいと思うのだ。
それが、時に、音楽を聴くことであり、
カフェでコーヒーを飲むことであり、
川辺沿いを散歩することであった。
そして、そこに、もう一つ、新しく加わったのが「詩集を読むこと」なのだ。
言葉に触れるとき、こころは静まり返る。
しいんとした心の中に、ぽつん、ぽつんと詩の言葉の断片が雫のように落ちていく。
敏感にこころが作用していく様を感じていく。
頭で考えることをやめ、ただただ、自分のこころの揺れ動きに注視する。
時間を忘れる、というか、時間が止まる。
今日も、詩集を鞄に忍ばせて…。
誰にも気づかれないだろうが、わたしのこころは、それだけで、詩集というベールによって守られている気がするのだ。
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