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向き合うとは

「向き合う」
このことについて、しばらく考えてみる。

どう向き合うか。
それは、生きる上でとても大事に思えること。

仕事にしろ、恋愛にしろ、

そして、何より自分と。

いつでも、一歩引いて見ている自分。
夢中になりそうになったら逃げている自分。

怖いのもある。

でも、向き合うことを忘れているようにも思える。
「忙しさ」や「能率」や「焦り」などに見舞わられて。


「向き合う」
それは、他を遮断することでもある。
こころを真正面に相手(自分の場合もある)に向けること。
これは、時に気持ちがいい。すがすがしい。


「向き合う」
自分が理想とする、向き合い方は、多くの熱量をそこに注げているかどうかだ。
しかし、「我を忘れる」「夢中になる」「無心になる」とは、似て非なる。


充実した時間を過ごすには、その向き合い方で変わってくるだろう。
我を忘れて、物事に没頭すると、時間はすぐに過ぎる。その時間も、有意義であるとは思えるが、真剣に「向き合う」ことをすると、時間が濃密なものになりうるようにも思える。

ある時分、ボランティアでトイレ掃除をさせていただく機会に恵まれた。
その時、まさに、「向き合う」ことができていた。
弱い自分にも、汚れにも。

そして、濃密な時間を過ごせた自負がある。


「向き合う」
真剣に対象となるものに、向き合うことで、それは自分が映し出されることを感じる。


相手の目の奥の光を見ること。

同じ目線に立って考えること。

全部まるごと受け入れること。

「向き合う」ことを本気でしたい。

#考え事 #エッセイ #哲学

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