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便利さに立ち止まってみる

2ヶ月ぶりに美容院に行く。
美容院では、美容院のお姉さんと時々たわいもない話をすることもあるが、半分以上の時間を雑誌を流し読みしているか、持参の文庫本に熱中している。
今日は初めてスマホを手元に置いてみることにした。メールの返信を少々行う。今すぐに返信する必要は全くないけど、何となくやってみたくなったのだ。ざっと周りを見渡すとすべてのお客さんがスマホを置いている。変化の最中にさらされながらも、違和感を抱かず、「そんな時代なのか」と受け入れている自分もいる。

電車に乗ると、そんな変化をいたるところで垣間見る。「地下鉄」という名前は、「大阪メトロ」という洒落た名前に変わり、青いロゴも馴染んできた。もう見慣れてしまった液晶画面には、主要ターミナルまでの時間が横へ横へと流れている。
吊り革を見ると、なぜか高さがバラバラになっている。さまざまな身長の人に合わせているのだろうと推測した。窓には、ステッカーが貼られており、驚くべきことに「この車両はプラズマクラスターが搭載されています」という文字が見られた。
知らぬ間に便利な世の中に没入している自分がいる。その一つ一つに、きっと、だれかの「思い」や「愛」みたいなものが込められているはずだけれど、「便利」というのは、感情を滑らかにし、奥に潜む「思い」を感じにくくさせてしまっている。

都会は、「自分」をなくしやすい場所なのかもしれない。気付かずにうちにそっと。かといって、わたしはモノにあふれた「都会」が嫌いではないし、先人の思いや知恵が積み重ねられた車内にも、ありがたく乗らせてもらっている。しかし、流されずに生きていくには、立ち止まること、そこにある思いに気づくことが、この場所では必要なのではないかなぁと思った1日だった。

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「エッセイ的な…」のマガジンは週1回投稿していきます。(土曜更新)


#エッセイ #散文 #便利


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