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第32回・再生と停止

子供の頃、少し年上の幼馴染みに「トカゲのシッポは、切れてもまた生えてくるんだよ」と教わった。

何故、切り離された身体の一部が再生するのか?
また、どういった状況でシッポは切れてしまうのか?
それは教えてはくれなかったが、切れても再生するということは、切れてしまった後でも、『生きている』のは確かなのだと、そう理解した。

直後ではなかったと思うが、それを聞いた後に、実際に目の前で、トカゲがシッポを自切して逃げる光景を見た。
幼馴染みに教わったこと、そして自分の目の前で起きたエピソードを父親に話すと、それは自分の身を敵から守ためなのだと説明してくれた。

体長の1/3ほどの長さを、自らの意思で切り離し、本体を守る行為。
ましてや、また生えてくるなんて。

人間に置き換えてみたら、理解し難く、とてもグロテスクな仕組みだが、切ってしまっても大丈夫なモノならば、最初から要らないのではないか?とも、子供ながらに考えたことを覚えている。

だが、大人になって、人間の社会にも『トカゲのシッポ切り』という行為があることを知った。
会社や組織の中で、問題(事件・不祥事)が起きた時に、立場の弱い者に責任を押しつけ、本来ならば責任を背負う立場の者が逃れることを、比喩した表現である。
よっぽど人間の方がグロテスクだった。

本体を守るため、権力や立場を守るため、と考えれば、犠牲になる部分は、それによって利を得る者からしてみれば、最初から要らない存在ではなく、むしろ必要な存在だ。
そして、捨てられた部分には、また別の人物が補充され『再生』するのだ。

実際のトカゲにとっては、シッポを自切する行為は、一生の内で、そう何度も出来ることではないらしい。
再生するまでには、多くの時間と体力を使うようで、その場では外敵から命を守ることが出来るのかもしれないが、結果的には寿命を縮めていることにはなっていないだろうか。

また、再生したシッポには、骨が無いらしい。
完全な再生は、難しいようだ。再生を繰り返せば、いずれは本体にも影響は出てくる。
再生を繰り返している会社や組織は、もはや人間でもトカゲでもなく、化物になってはいないだろうか?
一度、鏡で確認されてみてはいかがだろう。

子供の頃、どうせ切ってしまうのなら、捨ててしまうのなら、最初から要らないのではないか?と思っていたトカゲのシッポだが、実は重要な機能が備わっている。
トカゲは、シッポに栄養を蓄えているらしい。
本体にとっては、特別に重要な存在だと思う。
中核からしてみれば、末端など遠い存在かもしれないが、そここそが必要だろう。

いつでも『切れる』とは、思わない方がよろしいだろう。
シッポの方から切る可能性だって、捨て切れない。


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