来世を夢見る楽しみと儚さ
喜助は衣服もちゃんと着れず、いつもふらふら村を歌いながら練り歩く。
しかし、人々はその歌を愉快に思い、私よりも喜助は人気がある。
私はといえば、村のものにわからぬ学問で身を立て、村を栄えさせた。
しかし、喜助の歌は私の心さえ躍らせる。
どこで覚えたかわからぬが、ドイツ語の讃美歌の、うつくしいところを適当につなげて気持ちよく歌って居る。
わたしに来世があるのなら喜助になりたい。
きっと喜助なりの憂鬱もあるのだろうが、私の今の孤独がそんな形で降ってくるのかもしれない。
しかしあんな風に歌って周りの人を笑わせたい。
あぁ、あの歌はハレルヤの一部ではないか。詩人の恋とつなげるとはなんたるセンス。
あぁ、わたしは喜助になりたい。
そうしてわたしは喜助の涙になった。
ここから先は
0字
¥ 100
サポートはインプットのための読書や交通費に使わさせていただきます!