2024.4.28(日) わたしの全てを大切に思ってくれる友人とわたしの表層を面白がるだけの人々 人には踏み込んで欲しくない領域だってある

今日はずっとお茶してみたかった後輩ちゃんと。
お迎えにいくと、なんと手には花束が。さっき買いに行ってきました!迎えありがとうございます!と渡してくれる。なんてこった。今日はものすごくいい日になりそうな、そんな予感しかしない。
そこから 私が器好きなのを知っていて小皿を贈るか悩んだ話や 花束に関してのエピソード 今日のお洋服の話 たくさんお喋りをする。どれもこれも可愛さが詰まっていて、会って早々、もうこの子の虜。

わたしは 好き という言葉と共に気持ちを、よく人に伝える。コミュニケーションとなによりも ことば を大切に思っているからこそ、出し惜しみはしない。言わなくとも伝わると、思っていないから 一生懸命言葉にして伝えている。
けれど今日彼からは、言葉では無い 好き という気持ちの贈り物を たくさんいただいたように思う。 花束を選ぶ前に 色んな花言葉を調べて見繕ってくれた話や 今日のお洋服の色は なんとなくわたしのイメージで選んでくれた話 最近始めた私のアルバイト先に遊びに行きたくていつ出勤か気になっていうという話。この子はほんとうに、ひとがすきなのだろう。そしてその気持ちを、隠さない。ありのままかどうかわからないけれど、でも真っ直ぐに それを表現することを怖がらない。きらきらで眩しくて すてきだ、と思う そしてほんのちょっぴり 泣きそうになる。

彼とわたしは違う人間。でも、昔のわたしをみているかのよう。昔のわたしも、ひとが好きで好きで堪らなくて、それを憚ることなく 相手を慮りながらも 思い切り表現したくて。そんなわたしのことを、わたしはだいすきだった。あの頃が1番、輝いていた。今が輝きを失っているとは思わない。わたしは今の、色々を知って 落ち着きをもつわたしのこともちゃんとすきだ。けれど間違いなく、人生の中でいちばん輝いていたと自認できるのは、あの頃だけだ。

好きをどうやって相手に伝えるか 行き過ぎず、相手がしんどくなったり重たくなったりしないように それでいて、全力で好きだと伝えたい。相手は、どんなことに喜びを感じるだろうか。自分だったら何をしてもらったらうれしい?また会いたいと、思ってもらえるような時間にするには どんなこころくばりがあれば お互いに気持ちよく過ごせるだろう。
そんなふうに ひと について夢中になったあの頃があるからこそ、いまのわたしがいる。そんなことを思い出して、あの活力は一体どこからきていたのやら、と懐かしい。

巷で彼は人たらし、と言われているらしい(本人談)それは本当に頷ける。所以はきっと、ちょっと……抜けているところにあると思う。それがチャーミングさであり、可愛らしいところであり、人たらしと言われるほど 様々な人に好かれる要因な気がする。
花言葉を調べに調べてこれにしよう!と意気揚々とお店へ向かったはいいが どの花がその言葉に当てはまるものなのか見分けがつかず 結局可愛らしさで選んだところ。わたしのイメージカラーの長袖の古着を今日のお出かけに合わせて購入したのに、思いもよらず最近の最高気温の夏日になってしまい 泣く泣く同じ色みの違う半袖のシャツに変えて着てきたところ。わたしのアルバイト先に一緒に行こうと思っていた人には「別の子と行く」と振られ お洒落すぎて1人では行けないのにどうしようと困ってしまったところ。
どれもちょっと残念で 可愛くて、愛しいところ。

お店に到着。さつまいもを使ったおやつ専門のカフェへ。
わたしはずっと決めていた新作の おいもとクルミのビクトリアケーキとおいものバスクチーズケーキを。塩と胡椒がお皿に一緒に乗っていて、ちょこっとつけて食べるのがまた美味しい。

彼が話すこと全てが、すんなりわたしの心に入ってくる。物事の捉え方 感じ取るみちすじ、きっとわたしと似ているからだと思う。また色々な気づきがあった。良い時間を過ごさせてもらえて感謝。

帰りも送っていくと、また贈り物をいただく。わたし、きょういただきすぎではなかろうか……。おいも好き!と言ってたので……今日のカフェとかぶっちゃうんですけど…と、スイートポテトをふたつとモンブランをひとつ。わたしとパートナーにひとつづつと思って用意してくれたのも、愛。そこにプラスでわたし用にとモンブランも用意してくれたのも、また愛。おいもかぶりっていう、ちょっと抜けたところも大好きすぎる。正直に言うと好きな物は幾らあっても足りないくらいなので、たくさん食べられて嬉しい気持ちしかない。

帰宅。ホクホク。満たされた気持ち。とてもよい時間を過ごせたなと思う。彼とは定期的にお出かけしたいな。古着が好きと言っていたので、古着屋さん巡りしても楽しそうだ。

少し余韻にひたって、今度は夜ご飯会へ。前職の、お世話になったお母さんたちと。5人で集まるのだけれど、今はもう1人しか働いていないというのに、こうやってときたま集まるというのは、いいなと思う。良い出会いのひとつ。
家から歩いて行ける場所のお店を予約してくれた。多治見まで来てもらうの申し訳ないなあと思いつつ、少し早めに到着。

みんなそれぞれの近況を聞いて、なんだかほっこり。
違う環境にいると、みんなもなんだかあの頃とは少し違う雰囲気になるみたい。彼女達の新しい一面を知ることが出来てうれしい。

絶対この会で聞かれるだろうなという質問があって。それに対してなんて答えようか、色々考えていたつもりだったけれど、いざ聞かれると、思っていたことの半分も言えていなかったなあと思い返し、少し落ち込む。緊張するのもあるし、あんまり強く言い切るのも申し訳ないなとも思いながら。でもむしろ、そういうやんわりな優しさが きっと、相手にとっては結局良くないのだろう。わたしはきっとあの場で、ちゃんと 考えてきた答えを伝えて、伝えた上で「〜なので、もうその質問はしないで欲しい。」ときっぱり言えたら良かったのだ。そうでなければ、きっと、彼女たちはまた そう、また 悪気は全然なく、誰かに詰め寄ったり 問いかけをすることで 誰かの居心地の悪さを生む悪循環になってしまうだろう。

人には踏み込んで欲しくない領域だってある。それは、長く付き合えば全部を言わなくちゃいけないという決まりはないはず。彼女たちが わたしに 心の底から話して欲しいのならば するべきことは、当人に問い詰める事ではなくて、自然に話して貰えるような人間関係を 構築するための誠実な態度ひとつひとつだと思う。
わたしも、そのひとの雰囲気を読むことは、どれだけ親しくあっても……いや、むしろ親しいからこそ 大切にしていきたいなと思った。相手を大切にするということ 自分を大切にするということが具体的に何を指すのか 毎日勉強!親しき仲にも礼儀あり。
と、自分の学びにして気持ちをリセットしたいのは山々だけれども、わたしもまだまだ人生修行の身。あのとき、ほんとうに居心地悪かったな………勘弁……と、愚痴を漏らしてしまうのを、許して欲しい。

23時前にくたくた帰宅。
みんなはそれぞれ別の方向へ帰るから、帰って寝支度したら日付変わるのでは……。長い時間お喋りしてくれて、ありがとう。良い夜を これからの良い日々を 祈って さようなら。

パートナーにスイートポテトの贈り物の説明。きちんとあなた用で贈ってくれたんだよ!と得意気に。素敵な巡り合わせ、うれしいな。パートナーの分まで、というのは、わたしの友人に わたしを含め彼までもを大切にして貰えた気がして、ほんとうに嬉しいのだ。姉の友人に、「れいちゃんの分も」と何かをいただくとき、くすぐったいような あったかいような そんな気持ちになるのと同じように。
ふと思ったけれど、こういう関係や感覚は、俗に行く“家族”や“親戚”ではよくあることなのだろうか?わたしはその概念について希薄なので、よくわからないけれど、近しいものなのかもしれない。わたしは、今日会った後輩の友人や、姉の友人から これらのあたたかい感覚を味わうきっかけをいただけて、本当に良かったと思う。

わたしはもうお風呂に入ることを早々諦め化粧だけ落としとにかくベッドへ。お腹いっぱいだし夜遅いし今日は、ぐっすり眠れそう。

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