2024.4.3(水)無意識 無選択にならないよう生きる 親しき仲にも礼儀あり 初心忘るべからず 感覚とことばのずれ

今日は待ちに待った婦人科検診の日。2月末に申し込みをして、最短で空いている日が今日だった。ご飯を美味しくする一番のスパイスと同じ要領で、今日が一番美味しく婦人科に行ける日と信じてやまない。何を話すか予行練習しておこう、とホームページをみたりする。口コミの評価をみてみると前よりだいぶ下がっている気がした。何故!すこし怖くなって読んでみると、なんてことない、ただ予約が全然取れないだとか、なんだかそういうことばかりだった。良い口コミはどれもよさをしっかり書いていてくれて、わかりやすく、ほっとした。
やっぱり社会は大急ぎで回っているのだなとつくづく思う。
誰も彼も何かに追われている。正直それには、わたしも加担している節はある。「する」側はもう嫌だ、と決断をして職場を離れたからいいけれど、「される」側としてはまだまだそう思ってしまう。何かを受ける側のとき、例えば「他の人が待ってるから私は急いだ方がいいかな」とか。まず大前提として“ゆったり”と“急ぐ”の感覚さえも人によって異なるので、そこの平均値を予測してそれより急ぐなんて芸はする必要が無い、というか出来るはずがないのでしようとしてもしようがないのだけれど。そう簡単には抜けないものですね。でもそれすらも、ほんとは自由なんだよ。急いでもゆっくりしても、何をしても自由。だから、こそ、何をしてもいいからこそ、大事なのは無意識にならないこと、無選択でいることは、簡単に誰かのせいにできるから。全部無意識になりたくなくて、だからわたしは起きていたい。起きられない時は、起きないことをちゃんと選択したい、それは、ちっちゃなプライド、おっきな覚悟、そして1番は責任。わたしはわたしの責任をとりたい。

センシティブな内容も含まれるので全貌は書かないが、とにかくとてもつらかった。間違いのないように書いておきたいのは婦人科の雰囲気や対応としてはほんとうに、それはもう本当に良かったということ。そもそも婦人科の検診というもの自体がつらいし病院が苦手というわたしの特性故です。それなのにこんなに正気で帰路につけるというのはそれ以外の部分でとても良かったからということ。個人的には狭くて小さいというのもいい。全体的に人間がすくないから。自信を持っておすすめできる場所なので聞きたい人いたら遠慮なくどうぞ。
ただ、色々な要素があることは自覚しつつ、身体的な負担はあれども 心理的な負担は本当にすくなくなったなと思う。日々、変わりつつあるんだね、わたしのこころ。でも、何も無ければその幅はきっと小さいもの。ちゃんと毎日 わたしはわたしの変化をみつめて、みつけて、みとめて、うけいれる努力はしているつもり。そのちっちゃな積み重ねの成果が、この、心理的な負担を軽くしてくれたような気がして、うれしい。よくがんばったね、わたし。これからもよろしくね。

と言っても心身ともに疲れきってしまったので、早々に調剤薬局に行き薬を手に入れ、足早にお気に入りのカフェに向かった。余談だがおくすり手帳が通常ver.とサンリオver.と選ばせてもらえたのがとても良かった。しかもサンリオは3ver.展開。わたしはハンギョドンにしました。

雨の日だから空いているといいな、なあんてお店にとっては喜ばしくないであろうことを考えながら到着すると、空いているのが最後の1席だった。混んでいる……、お店にとっては嬉しいことだよね、と思いながら注文。
7種の焼き菓子の中で6種類を注文するくらいには愛が溢れて止まらない。行くたびに違う焼き菓子がこちらを見ていて、それがまた素敵なところです。何回行っても新しい美味しさの発見がある。

お客さんの流れを見つつ店主の方に話しかける。とっても可愛らしい方で、お洒落で、ひとりで切り盛りされてるのがかっこよくて、作るお菓子が本当においしくて、推してる。前回の神戸旅のときにおすすめの場所を教えてもらったのでその感謝と、行ってきたことを伝える。そこからまた色んな話ができて良かった、うれしい、うれしい。「店員さん」でこんなに仲良くなりたい!と思ったのははじめてなので、ここからどう距離を詰めていけばいいのか分からない……。分からない、ということはここからまた新しくそれを会得できる!ということなので、のんびりやってみようと思う。新しい人間関係の構築の仕方だなあ、ふふ。どういう関係値であっても、根本に“リスペクト”を持っておくのが大切だと あくまでわたしは思っているので、それを念頭に。姉と共通で大事にしている考え方が幾つかあるのだけれど、その中の一つ「親しき仲にも礼儀あり 初心忘るべからず」(このふたつが ひとつづき というところがミソです)というのを、この新しい関係を構築しようと模索する前に一度振り返っておきたい。どんな関係にも相手を 尊敬する 敬う 姿勢 が重要だと思っている。それは、相手の全てを尊敬しなくちゃいけないわけではなく、ただ、同じように相手の全てより自分が優れているということはないのだから、素直にそれを認め 「すてきなことだ」と思う姿勢を。そして、根本的には 優劣 なんてものもないと信じているからこそ、だとも思う。それは、違う意味になってしまうけれど、わたしはどちらも本気で思っている。どちらか片方だけすべて優れているということはないから、という理由と、そもそも物事に優劣なんてないから、という理由。どちらも、指すこと言っている意味は全く違う………だけれど……それって…………同じところに向かっているものだと思うから。

ああ、足りないし、多すぎる。いま、この“関係性の中で相手にリスペクトをもつ”この感覚を文章化しているときに、思った。ことばが多すぎる、その意味や意図を全然理解しきれていない、だから、本当に感じていることをいまもっているそのことばで文章化しようとしても、うまくいかない。微妙に、ちがい、ずれる。それは足りないから わたしの経験が、それは多すぎるから ことばたちが。
わたしはずっとわたしのことばを、へらすか ふやすか ずっとずっと迷っている、詰まる。というか、減らすことを実践しながら、増やすことも同時に行っていて、もうぐちゃぐちゃです。たぶん、ほんとうのいみで 「何を」減らすのか増やすのかを1回1回にたいへん意識しながらでないと、簡単に道を逸れてしまうスリリングな感覚がある、たやすい方へと。毎日修行。

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