2024.4.4(木) 外/内 への思考の仕方 “ちがい”へのリスペクト どうか、優しくあって
お散歩がマイブーム。
今日も花見をしに、近所の公園に出かけることに。正直散歩を口実に花見がしたい、というよりかは花見を口実に散歩がしたいのだ……。
その前にと近くのカフェでお昼ご飯。ランチは初めての利用だったけど、びっくりするぐらいの量が出てきておなかいっっぱいになる。ちらし寿司とだし巻き玉子(ぶあつめ)のプレートに、お椀いっぱいのお味噌汁、両手ぐらいのボウルに山盛りサラダ、仕上げに小さめなメインといっても過言では無いクオリティのポテトと明太子のグラタン。
パートナーは芝生ぐらいの(芝生?)サラダにソーセージ、スクランブルエッグが乗ったもの、ドデカキッシュ、副菜色々でした。大盤振る舞いすぎる。
そんなランチを一生懸命食べながら、昨晩観た映画の感想を言い合う。
昔はその映画にまつわる色々とか、作者側の意図とか、他の人の考察とか、そういうものが気になっていたけれど、最近は全然気にならずに、ただただ受け止めて、ただただ感じている。今回も前情報がほとんどない状態で観て、2人で討論をした。
パートナーはわたしより色々な経験をしているので、こういうとき類似した作品や、オマージュではないかみたいな部分とか、映画に観た感覚を抜き出して最近のニュースだとこういうものも話題になったとか、そんなふうに話をしていく。たくさんの知識があるからこそ、様々なところに広がっていく 飛んでいく感じがあって、すごいなあと思う。わたしにはたぶん、できない。
それに対してわたしは知識も経験もあんまりないので、外に外にというよりかは、内に内に深堀っていく。この人物のこの発言に胸が締め付けられた、きっとこことここの連鎖が暗に揶揄されているきがする。この眉毛の上げ方にこのセリフ!でもこれは……わかる、だめなことだけど、許されることじゃないけど、そう言ってしまうきもち、わたしにはわかるな…とか。そんなふうに話をしていく。
そう思うと、ぜんぜんちがうふたり。わたしは彼のようにはなれないし、なろうと思わない (たぶん出来ないからね)だからこそ尊敬しているし、聴き入る。わたしはわたしの感覚を大事に、わたしはわたしのまま、成長していこうと思う。
「他者に対してのリスペクト」は決して自分のなりたいほうにだけ発揮される感覚ではないことが、ようやく最近になってわかるようになった、身に染みるように。すごい!かっこいい!すてき!“わたしもそんなふうになりたい!”と、思えるようなことに出会えるというのは、ほんとうに奇跡みたいなものだと思う。けれど、自分の進む道とは違う方向にいても、素晴らしい才能を持つ人々は溢れるようにいる。それは著名人とか、そういうことに限定されない、もっともっと広義な いみあい で。それをわたしは発揮していたい。例えば学校の中 職場の中 習い事の中 なんでも 自分と、相手 2人以上の関わりあいは全てそう。今日すれ違った人々全員に、それぞれ生きてきたストーリーがある ドラマがある。私の経験したことのないようなことを。思いつかないようなことを。そんなふうに考え出したら、他人を 馬鹿にしようとか 貶めよう 責め立てようとか そういうことは自然と浮かばなくなる。わたしは、尊重したい わたしを 誰かを。わたしは、優しくありたい。あなたも、どうか優しくあって。
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