2024.7.14 日曜日 曇り 晴れ

今日は母の誕生日。予約をしていたケーキと花束の受け取りへ。帰ってお昼ご飯の支度。母が迷って30分ほど遅刻。大丈夫か。既に、わたしから母への視線が ご近所のおばあちゃんに対する眼差しになっている。まあ還暦を過ぎているので、おばあちゃんと言っても然程不自然では無いのだが…。

母を自宅に招くなんて、少し前の私からしたら考えられないことだった。浪人をしたあの1年間、そしてそのあと再び美大に落ちたあのとき 「母から離れなければ、逃げなければ」という一心で家を出たあのときから いま このとき。予想もつかないことも、あるものだね。

お出迎えをしたら、今日のお礼にと箱に入ったたくさんの桃が!普段、フルーツにお金を使わない母。わたしの大好きな桃をこんなにたくさん、うれしい。彼と食べてね、と母が言うので 彼は桃を食べないことを伝える。せっかく買ってきてもらって 申し訳ないけれど、山盛りの桃はわたしが責任をもって全ていただくことにする。

ご飯を食べた後、母が急に「お腹いっぱいで眠たくなるから掃除しよう!」と言い出す。我が家は正直あまり綺麗じゃない、というのも、元々入居した時から綺麗な状態では無かったことと、毎週基本的なところだけはリセットしているのだが、細かいところまでは掃除できていない部分は自覚している。それでも生活バランスを見ながらやっているつもりであった。以前の私であれば、娘のお家に遊びにきて掃除をすると言い出すなんて、つまり「掃除できてない!」と言っているようなものではないか、とこれまた母の無神経さに眉をぴくりとさせていたと思うのだけれど。今の私は、なんだかちょっぴり、母のそんな姿を痛々しく感じた。

母は誰かに尽くしてあげたい人なのだ。どちらかというと、相手に依存してだとか反応を見てだとかいうより、性分として。おそらく、手土産にともってきた桃を私のパートナーが食べられないと知って、何かほかにしてあげられることは無いだろうか、と考えたのであろう。昔は許せず理解もできず嫌な側面だけを見て決めつけていた母の行動のひとつひとつに、過去の出来事だとか 母の家庭環境だとか そうならざるを得なかった背景などが見え隠れし、母の思うことが手に取るようにわかってしまうようになって、やっと母のことをただ憐れと思うことができるようになった気がする。母にされたこと 仕打ち 言われたこと 呪い それは消えなくて 今も忘れていないし、それをされた過去のわたしを守ってあげられたらと思ったりもする、だけれど、それが今のわたしを形成しているから。いまのわたしを、わたしは肯定していて、だからその糧となってくれた過去の出来事に対して、怒りとか憎しみとかを、感謝の気持ちに少しづつ 昇華させていけている。
手放しで「育ててくれてありがとう!おかげでこんな立派に育ちました!」なんてことは決して言えなくて、それが親不孝だと言われても私は揺らがない、 親不孝だと言えてしまえるあんたたちは恵まれていることに気づいた方がいい、とさえ言える。でも、今は 母親に対しての憎しみを少しづつ 手放し始めているわたしがいる。それだけで十分だよとわたしはわたしを抱きしめられる。

母の要求する掃除道具のほとんどが家に無かったので、その買い出しに行くことに。個人的に洗剤の種類とかをあんまり増やしたくない(ものを増やしたくない)のがひとつと、環境配慮的に使い捨てのものを減らしているので、キッチンペーパーの代わりに清潔なさらしを使い、掃除用のペーパーのかわりに使わなくなったシーツを切って使っている。けれどわたしも綺麗にしたいという気持ちはもちろんあるので、母と色々話しながら購入したりしなかったり。
帰って早速とりかかる。ずっとサボっていた網戸の掃除を母がしてくれ、本当に助かった。夏、通る風が心做しかすこやかになったきがする。

その後は休憩がてらアイスオレを淹れ、花束を渡し、でっかいホールのモンブランをふたりでつついて食べた。
母に好きなケーキを聞いた時、モンブランが好きとのことで選んだのだけれど、それはわたしの昔から大好きなケーキでもあるのだ、それは、どこからきたのかな ここからきたのかな。
ふたりでおいしいおいしいとケーキをつつく。


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