2024.2.20 (火)行動の日 すべてうまくいく 夕日のオレンジ贈り物のパズル 生理を止める方法

驚くことに、すんなり起きられる。
ただお腹がずっと痛い。収縮。
昨日貰った花たちがこちらを向いていて、思わずにこりとする。
いつものルーティン。

今日はご近所のお弁当屋さんの、週に1度の営業日。そっちに行こうと思っていたけれど、またまた不定期のカフェが営業するみたい。カフェの方に行きたい気持ちが強かったので、予定変更。すぐ予約で埋まっちゃう店だから、運良く予約出来たらいこう。

時間まで少しあったので、健康保険の返却に郵便局へ。
ミッフィーの切手があって、かわいかった。

カメラの修理見積もりが不可で戻ってきたのでお迎えに行った。メーカーでの修理は出来るけど、古い型番すぎてもうパーツがないらしい。このまま処分お願いできますかと受付の方に尋ねたけど、気が変わって持ち帰ってきた。

不定期のカフェ、待ち構えて電話したけどダメでした……3連続敗北中。悔しすぎて、連続コールがかけられる裏技とかないかな……と調べて無限にコールをかけ続けられるアプリを入れて一先ず満足。
お弁当屋さんの時間までまだあったので、このまま役所に行って手続きを済ませてしまおう。

1時間くらいかかるかなと思ったら20分くらいで終わった。すごい。はやい。ありがたい。
保険と年金の切り替え。支出の金額がまたひとつ分かって、もうそろそろ大人しく生活をしなくてはな……と思いつつお弁当屋さんへ向かう。

このお弁当やさんに行く時は、ちょっと頑張りたい時 もしくはご褒美のお昼ご飯で、出勤前にいつも買っていた。それを覚えていてくれたみたいで「このあとお仕事ですか」と優しく声をかけてくれた。嘘をつくことでもないかと思い、実は仕事を辞めたんですと伝えた、なのでいつでも来れます!!とニッコリ付け足して。 ありがとうございます、またお待ちしていますと、そしてお元気そうで良かったですと言ってくれた。
昨日もみんなにそんな言葉をかけてもらったな。あなたが元気で良かったです、と言ってもらえるのって、とても有難いことだと思った。「元気」であったとしても、さほど嬉しくない/どちらでもいい という関係性の他人は多いと思うから。けれど一方で、ごくありふれた感覚という側面はあるのかもしれない。元気かどうかはどうでもいい、という他人であっても、体調が悪いとか 元気がない 覇気がない となったときに、「大丈夫かな、」と心配する気持ちというのは、魂の根底に備わっている感覚に近いと思うんだ。お年寄りが杖をついて1歩1歩崩れそうになりながら歩いている姿や、子供が大声で泣き喚きながら暴れている姿をみたとき、それが知り合いでなくとも少なからず感じるその感覚に。
それをわたしの感覚の中では、ごくごくありふれた 特別じゃない 哀みたいなものを、常々他者に対して持っていたいと思う反面 それを私が受け取るとき、それは当たり前ではなくとても有難いことだな、と常々思っていたい。
単純に喜んで、嬉しがって、有難がって生きたい。
もう無になりたくない。

パートナーの連勤が今日で終わるので、お土産に買っていってやるかとお弁当屋さん近くの和菓子屋さんに行ったら定休。あら。いい機会!と思って周辺の和菓子屋やさんを開拓することに。近くになんだか可愛らしい、餅屋さんの大福があるようだ。向かう。スタンダードの大福と、蓬大福を1つづつ。帰ってきたら一緒に食べよう。
通っていた高校の近くに餅屋さんがあり、よく部活終わりに五平餅を食べに行っていたことを思い出す。餅屋の五平餅、間違いなく美味しい。それぞれの食べ物は、その食べ物に特化して営んでいるところに行くのがいちばんまちがいない。ということで期待も膨らむ。餅だけに。(上手いこと言った顔)

帰宅。どんどん晴れてきて、どんどんとうれしい気持ちになる。うれしくなって洗濯物をまわす。全ての予定が順調に終わってまだ13時!
ご飯を食べて、お弁当屋さんで買った鬼まんじゅうも食べた。どうしてかわたしの中の鬼まんじゅうは、パサパサなイメージだったけれど、こんなにモチモチでしっとりねっとりで美味しい鬼まんじゅう、しらない、初めて食べた。美味しい。やっぱり食べ物ってのはそれに特化したところで以下略。

昨日の日記を書いて、洗濯物をルンルンで干して、ジグソーパズルの2回目ののりつけをする。ちょっと足りなかったのか、立てかけた時にふにゃっとなってしまうので。これがのりの強度の限界かもしれないけれど、もう一度やってみる。
そのあと、注文していたものが届く。同じPRINT WORKSのジグソーパズル!前のはDAWNで、今回はNIGHT。小物のみなさまからの贈り物。ありがとうございます。ジグソーパズル、前に1度やってから、集中して時間を忘れて出来るのが楽しくて。ちょうおすすめ。です。パズルって、そのものの完成の為にというよりかは、意識を集中させ続ける時間 の為にやってるみたいなところがある、気がする。

和紅茶をいれてのんびり過ごす。
久しく、夕日のまばゆいオレンジを見つめる。

ネイルを落としながら本を読んで、新しいネイルしながら本を読んで、お腹すいたのでパスタ茹でながら本読んで、パスタ食べながら本読んだ。読み終わった。余韻………。
本のノートも作りたかったので、早速取り掛かる。色々考えて、日付と題名と作者と、好きな箇所を書き出しするシンプルなものにした。わたしだけの、わたしをたすけてくれることばたちのノート。

今日もとってもいい日だったな……。
もうだいぶ気持ちがやわらいで、前向きになっているので明日か明後日辺りに来るかな。生理予定日近づくといつも大体こんな感じの脳内になっている。先月から低用量ピルの服用を一旦やめたので、いつ来るかもわからなくて怖いし、早く来ても遅く来ても怖い。遅く来る時なんか、1日1日ずっと緊張状態だから、さっさと来て欲しい、いや、もう一生来ないで欲しいんだけどね……。生理を止める手術が、ウン十万でできるそう。ひと月に1度来るこの現象にかかる費用と労力、何年経ったら手術代と同じところに達するのだろう。
きっとだいじょうぶ、だいじょうぶ。
怖がっても結局毎月だいじょうぶで、何だかんだやれているので、きっと今月もだいじょうぶ、来月も、ずっとその先も。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?