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無所属でいるから嘘をつかずに生きられる

大学を卒業して、フリーランスになってもうすぐ丸3年が経とうとしている。気分は悪くない。肩書きのない人間として生きられるのは気持ちがいい。

「〜の七です」と言ってしまえば、その「〜」に合わせた自分を作らなきゃいけない気がしてきて、自分の純度が下がるから。自分が消えていく。薄まっていく。嘘つきになっていく。「〜」ありきで関わる人が増えてしまうと、どんどん嘘つきになってしまう。だから無所属の自分が心地よい。

嘘つきなんて言い過ぎかもしれないけど、わたしにとっては「謝る気持ちがないのに謝ること」「そんなにやる気がないのにぜひやりたいですと言うこと」「本当は大丈夫じゃないのに大丈夫と言うこと」「目の前の相手には愛想よく接するのに裏では悪口を言うこと」そういう一つ一つが「嘘」に感じられて、辛くなる。嘘を見るのも、嘘をつくのも、とても辛くなる。だからどこまでも個人で存在して、少しもめてもいいから純度100%の自分でいたい。そうしたいというより、そうしないと死んでしまう気がするから。

社会人3年目でも、心は全然変わらない。今も自分は自分のまま存在している。

「(ななは)一人でいることが多い分、純度が高い」と言われた。嬉しかった。一人でいることがプラスになってるし、純度で言えば確かに高いと思う。よくそんな言葉出てくるな、よくそんなわたしの特徴に気づくな、と感心する。わたしは気持ちのまま存在している。純度は高い。そのことを自分の誇りというか、アイデンティティにすら思う。わたしは嘘をつかずに存在している。それは社会人としてはマイナスな特徴かもしれないけど、自分にとっては、自分が存在するための要素。大事な要素。

生きづらいとは思わないけど、ふとした瞬間に世間とのズレを感じる。でもそのズレに救われる人もいるのだと思う。

「わたしって浮いてるよね」という言葉に対して、「うん、浮いてる」と返された。それも嬉しかった。普通はマイナスな発言をすると「そんなことないよ」と返されてしまう。いい言葉ばかり言う人は、わたしには嘘つきに見えてしまう。だから全て肯定されると不安になるし、「この人は本心を話さない人なのかな」と信用できなくなってしまう。だから「うん、浮いてる」と言われてとても安心できたし嬉しかった。

苦手な人には「ごめんね、苦手だからあんまり関わりたくない」と言いたい。平等みたいに公平みたいに接すると、それはわたしにとって「嘘つき」になってしまう。自分にとっての矛盾が増えれば増えるほど、心が病んでしまう。自分がこの世で生きる方法があるとすれば、それは素直に生きること。嘘をつかないこと。自分の心を守るために素直でいるしかない、生存戦略。打算や計算や根回しや冗談やお世辞、全部やりたくない。

そうやって生きることで面倒なことはたくさんある。でも、それを好きだよと言ってくれる人もいる。「いいね」じゃなくて「好きだよ」を集めたい。いいって何か分からないから。「いい」の基準は分からない。「好き」ならその瞬間の気持ちとして本物だから、分かる。(嘘で好きって言わないでね。それは一番罪が重い。)

とても面倒に見えてシンプルな自分な気持ちを、大事に生きていきたい。

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