名乗りたい肩書きを名乗って、やりたいことをやって

何を名乗るか?なんてどうでもいい人もいれば、名乗ることで力がみなぎってきて、名乗ることで行動を追いつかせられる人もいる。

名乗るまでしなくても、「自分は◯◯をやっていくぞ」と心に決めたり想像したりすることが、力になる人もいる。

この数日、自分の中心に短歌を置いてみた。短歌をたくさん書いた。歌集を作るぞと決めた。短歌を使って自分の生きるスペースを広げて遊ぶぞと思った。歌集を読み返した。受賞したことも、歌集を出したこともないけれど。

とか思ってたら、大学時代の友達も短歌を作り始めたという。

とか思ってたら、先月応募していた短歌が今月の短歌的な感じで選ばれて、サイトに掲載された、今日。

意識し始めたら、少しだけ短歌が足元に集まってきたような、気もする。

そうやって「自分は◯◯をやってくんだ」と心から思えると、心が強くなると同時に、今まで平気だったものが無理になったりする。

とくに短歌モードは、わたしの中にいるわたしとしてはもっとも殻に閉じこもり、気難しく、社交性の低いものだ。

すっかり短歌モードに覆われてしまい、先週まで大丈夫だったはずのものが、触れるだけで具合が悪くなるような、そんな変化に襲われている。

大人としてはわがままだなと思いつつ、そういうので具合が悪くなるのは学生の頃からの気質なので仕方ない……てか大人になろうなんて思ってないし……と開き直っている。他者に迷惑をかけるのはなるべく最小限に抑えながら、「おうち入院」みたいなことをして、回復につとめたい。

人から「◯◯さんっぽさあるよね」と言われることがあった。顔の話じゃなくて、たぶん書いてることや脳みその話。

かつてよく言われたのは、phaさん。その次が坂口恭平さん。どっちも普通に好きだ、ファンである。と同時に、作品やサービス自体じゃなくて、生きてる流れというかその人の変わりゆく状態に価値のある人たちだと思うから、ああそうか〜わたしもその類か、定まらないか、定まらないよな〜、はえ〜と迷子になる。

この二人の大きな特徴は、定まらなさと、「個」がとても強いことだと思ってる。

定まらなさについては、書いた通り。性格としての軸はあるけど、やることや状況、メインのサービスは変わり続ける。その変わり続ける様子を含めて価値がある人たち。変わらないことによる信頼ではなくて、自分に正直に生きながら変わり続けることでむしろ信頼を得ているような。ここが普通の社会人と違う。

次に「個」がとても強いこと。所属や団体名が全然イメージとして出てこない。phaさん=京大、くらいはあるけども。京大はもはや所属というよりは文化って感じがする。「原宿」とか「沖縄」みたいな。

この人たちが作ったものはイメージとして出てくるけど、会社名みたいなキチッとしたものは出てこない。それが良さだと思う。

定まらなさと、団体に所属しない感じ。これはわたしの軸になるだろう。ここは変えようとしないでやっていこう。ここを変えようとすると事故るんだろうな。

人との付き合い方や信頼の得方が、組織の感じ、会社の感じとは違うんだろうな、わたしも。そこを自分でも分かっていよう。事故るとしたらそのへんだろう。

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