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誰かに「分かってもらえた」という気持ち

「恋愛みたいな気持ちを感じたい」と思うものの、「じゃあ恋愛みたいな気持ちって何?」と聞かれたら、うまく答えられずにいた。

私にとって「恋愛みたいな気持ち」とは、「自分のことを分かってもらい、評価してもらうこと」または「相手のことを分かり、【分かってもらえた】という気持ちを相手に感じてもらうこと」。

簡単に言うと「心が通じた瞬間」を「恋愛みたいな気持ち」と感じていて、それが好きなんだと思う。だから「恋愛みたいな気持ち」は本当に恋愛である必要はないし、異性である必要もない。

ここ最近、話す人が増えた。話す回数も増えた。そこで思ったのは「みんな、自分の話を聞いてもらいたいのではないか」「自分を分かってほしいのではないか」「寂しさをなんとか埋めようとしてるのではないか」。

私も例外ではない。

この辺の気持ちを簡単に満たせるのが恋愛で、私はそれに近い感情がとても好きなんだ。

自分のことを分かってもらうのは、簡単なことではない。なぜかといえば、「分かってもらえるかどうか」は、使っている言葉の感じに左右されるから。同じ日本語を使っていても、人によって全然違う意味で言葉を使っている。全然違う意味で使っている場合、「分かってくれる度」がとても低くなる。奇跡的に言葉を似たような意味で使っている人と出会った場合、「分かってくれる度」がとても高くなる。

分かってもらうには優しさや思いやり、技術が必要なのではなく、言葉の使い方(?)の一致が必要なのだ。生まれつき・育ち・好きなもの・性格など何かが近くないと「分かってもらうこと」は難しい。

聞く技術を鍛えれば、性格が遠くたって「分かってる雰囲気」は出せる。でも、心からの「通じた感」「分かってもらえた感」は感じられない。

どんな方法があるのか分からないけれど、私はこれからも恋愛みたいな気持ちを求めて生きていく。どの部分が満たされたら、この「恋愛みたいな気持ちがほしい」「分かってもらえてる感がほしい」「分かってあげてる感がほしい」という欲求が成仏してくれるんだろう。何がいまだに足りないんだろう。



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