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心の日記2021/2/25

相変わらず憂鬱である。基本的な理由はタスク過多と支払い関係の手続きが溜まっていることとプライベートな心の問題だろう。普通に考えて、この状況に疲れない人はいないと思うので仕方ないことにする。

現実というものは私にも存在する。空想の世界で生きてるつもりだったけど、現実が一気に襲いかかってきて、うわーってなっている。

私にとって一番大切なものは何だろう。幸せになりたいし冒険もしたいけれど、疲れるのは嫌だし美味しいものを食べていたい。いずれにしろ当たり前になっているものを壊さないとフラットな自分には戻れない。誤魔化して生きるぬるい雰囲気がどうも好きではない。

やりたいこと(=継続)とやってみたいこと(=一瞬の体験)の境目が分からなくなる。やりたいと思い込んでいたものが、ただのやってみたいことだった、ということも多々あるよね。自分にとって何が続けたいことなのか迷子になるよね。

本音を書きたいね、せめて。本音を言いたいね、せめて。どこかで、誰かに。

疲れると変化することが面倒になってくる。何もしなくていいやと諦めそうになる。だから疲れている状態はできるだけ避けたいし、タスクもコントロールしていたい。しないと。

本当はすぐに変わっていきたいのに、その体力が奪われると曖昧な状態が続いてしまう。

別にそれ自体は悪ではない。だけど命の有限性を考えたら、目の前のことに疲れて変わることを先延ばしにして命を浪費してる場合じゃないんだよね。疲れてる暇はない、人生を生きろって感じ。

命を自分一人でやっていくならいつ死んだっていい。でも今しか同じ時代を共有できない人や場所や空気があるから、いつでも今が大事。

人に丁寧に接しようとか、綺麗にコミュニケーションを取ろうとかじゃなくて、わけわかんなくなったり混ざったり溶けたりしながら「生きること」をやっていく。産まれ落ちたことに意味があるとするのなら、それは人とやり取りをして自分を知ること。自分を広げること、

全て自由に選べる世の中で、何を選ぶ?何を捨てる?何を見たい?誰といたい?どこにいたい?何をしたい?

全て自由に選べる世の中で、自分を閉じ込めてるのは自分。心理学的には違うとしても、広い規模で考えたら、全て自由に選べる世の中で今の状況を選んでいるのは自分。

なんでも諦めちゃいけない。自分を諦めちゃいけない。諦めるのを許されるほど、まだ命を使い果たしてない。

現状と理想はまだ程遠いかもしれないけれど、現実と理想はちゃんと繋がってるから大丈夫。

スピードの問題ではなく、行動量の問題でもなく、自分を信じることの問題。自分のことを信じているし、もし自分で自分を信じられなくなっても大切な人はあなたのことを信じている。

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