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善意の怖さ

暴力に変わる善意というお題でキンコン西野さんが話していたのを聞いて、超共感したので本日のnoteでお伝えします。

震災・災害が発生、熟慮した上でボランティアに行くことを決める。すると、外野から危ないよ、Aを助けるならBもやってね的な意見が出てくる。一定量過ぎると、お前がやれよ!とイラっとする的なコメントを絶妙な例え話で説明していました。

当の本人はそんなことは織り込み済みで、その上で出来ることをしようとしているだけなのだが…そんなふうに善意も蓄積されると、わかってるよとなる。相手方は悪気もなく、もちろん邪魔しているつもりもないが、蓄積されると暴力に変わるという表現をしています。

親が心配のあまり子供にそんなことするな、これやったほうが良いとか、夢を断たせようとするドリームキラーとも違う。SNSの世界ではまさに新種の善意を振りかざす人、釈迦に説法する人が溢れかえっているように思います。それはもちろんわかってますw 想定の範囲内ですw となることがほとんどですが。

このような人達に注意しても、SNS上で反論しても、君や君の組織のために言っている、そんな強いトーンでコメントしていないと、自覚はないパターンが多いのだろうと思います。

西野さんはこうも言っておりました。SNSで「きもい」と呟く、この1件ならスルー、しかし、例えば1万件とかになるとメンタル食らってしまうと。呟いた側は、1呟きに過ぎず、相手をそこまで追い込んでいる自覚はないのでしょう。おそらく、あの一言でなんで?そんなに?と感じるのではと。「きもい」は完全にネガティブワードですが、前述したように危ないよとかAを助けるならBもねとかも善意の蓄積になると暴力になるという表現はよくわかります。

このような善意の暴力を避けるためにどうしたら良いか。相手を想像する、釈迦に説法は絶対にだめ、相手がどれだけの経験、知識を持っているのか。挑戦する人がそのアクションに対してどれだけ多くのアドバイスをされてきたのかと推しはかるべきだと言っています。

例えるならとこうも言っています。メジャーリーグに挑戦する選手に、「英語勉強しておいた方が良いよ」と言ってしまうようなこと。何故にあなたがこの人にこのアドバイスする第一号になると思ってそれ言ったと笑 まさに釈迦に説法。そんなことは何万回も聞いてるはず、そんなの想像したら、無意味なアドバイスだということくらいわかるだろ!そんなことくらい想像しろ!と笑

やはり人様にアドバイス、意見する時は、リアル、バーチャルを問わず相手がどういう人物で経験、知識、実績を持っているのかくらい理解、想像してコメントすべきだと思います。善意のつもりと考えているのは自分だけで、全く相手の受け取り方は違うこともあることを意識していきたいものですね。

何よりももっと優しい世の中になっていったらいいなと思っています。


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