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”同じ季節は二度と来ない”22度目の春

ファインダーを覗き込んだ21歳の春


2024年4月
年を書く時2024と書くのに慣れないままもうすぐ今年の1/3が過ぎ去ろうとしている。
今年の春は、キャンパス内の桜の写真を撮るのに夢中になっている。
カメラの性能や使い方、特徴も理解しないままシャッターを切り続けていた。
ちなみに『シャッターを切る』という言葉は、なぜ『切る』なのか曖昧らしい。曖昧とか答えがないぼんやりしたものは自分で答えを想像できるからおもしろい。

ある晴れの日、キャンパスには花見をする人たちで溢れていた。
フリスビーを投げ合う親子、腰を曲げた老夫婦、大学生であろうカップル、散歩に来た家族、それぞれの声が一つの空間に響いていた。

カメラを構えてファインダーを覗き込む時、意図せずとも映りこんでしまうどの人の表情にも満ち溢れた何かを感じていた。

小さい頃の自分の影をあの少年に重ねた。
息を切らしながらボールを追いかけた。
コンビニでお母さんに買ってもらった冷やし中華。
落ちてくる花びらを掴もうと伸ばした短い手。
懐かしい。
何か包み込んでくれるような安心感がそこには存在していた。

幸せそうな人たちの表情につられるようにして彼らにピントを合わせてしまいそうになり、慌てて撮影の許可を取った。
自分は、カメラマンでもなんでもないため、許可の取り方も分からないし許可を取らなければならなかったのかどうかも定かでは無いが勇気を出して話しかけた。

彼らの目に、路上で人を撮る流行りのカメラマンや急に話しかけてくる不審者と映っていないことを切実に願う。

話しているうちに桜を見ていた人それぞれにドラマがあることを知った。
想像していた関係性じゃなかった人たちもいた。
昔からの友人や近所の仲間、大学のサークル仲間、亡くなった父親の写真を持ってきて桜を一緒に見ようとしている夫婦。

本当は、全ての写真を載せて全てに解説を書きたいけれど、自分の中に大切にしまっておく。

数十年後、出会ったお爺さんのように桜を見ながら楽しく仲間と昼からビールを飲みたいし、出会ったおばあちゃんのように親友と仲良く並んで花を見たい。

急に話しかけてくる大学生の自分にみんな笑顔で話してくれた。
それぞれに別々の複雑な人生があって、それぞれ辛いことも楽しいことも抱えていて、それぞれの目的があって、多くの人たちが同じ木々の下に集まった。
自分は”カメラで桜の写真を撮る”ため集まった一人。
たまたま集まった人たちで形成されたひとつの家族のような空間。
それが穏やかで素敵だと思ってしまう。


季節が巡っても、同じ春はきっともう来ない

当たり前のようにそこには怒鳴り声も泣き声も存在せず。
ただただ緩やかに時間が流れている。
昔からそういう空間が好きだ。
なんでもない一日。
全員が幸せで溢れている空間。
夏祭りや公園、観光地やテーマパーク。
年齢も性別も国籍も関係ない。
全員がそれぞれの幸せを楽しむ空間。

屋台やタレント、楽器奏者、大道芸人がいなくても元から存在する桜の木の下で多くの人が集まってそれぞれ一緒に来た人と二度と感じることの出来ない春を感じている。
ひょっとしたら『桜を見る』という行為は、それぞれの時間を過ごすためのただの道具に過ぎないのかもしれない。
あっという間に巡っていく季節だからこそ穏やかでゆっくりに感じる空間。
来年はこの場所でどんな人がどんな風に桜を見るのか楽しみだ。

一昨日まで満開だった桜の木を見上げてみると、花たちの隙間から黄緑色の若葉が季節の変わり目を告げる様にちらちらと顔を覗かせている。

CanonEOSkissX5で撮影


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