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さぁ、がんばろう!!

散髪をした私への反応、さまざまの巻③

きのう、髪を切った。
うねうねくせ毛の髪が美容室に行った数日間だけ?!ストレートになる。

「先生、微妙?!にかわいくなったね。」から始まり、こどもたちは、好きなことを言ってくる。

きょうは、「おばさんちびまる子ちゃん」が多数派?!だった。
喜ぶ結論?!((笑))

髪型だけでなく、上から下まで、ちいさな働きかけや言動まで、こどもたちは、観て聴いている。
もちろん、そのすべてを覚えているわけではないだろうが、こどもたちそれぞれのとらえ方に、毎日ちいさな影響をあたえているのは間違いない。

逆に、私が忘れていることだって、覚えてくれていることがたくさんあり、ハットさせられる。

教職時代は、主に授業を通して、自分を試されてきた気がするが、いまは、自分というひと自体を通して、試されている。

教えるよりも、ひととして学ぶことのほうが多い。
若さやいまの時代性もあるのだろうが、自分のなかで迷いも増えた。

変な言い方だが、だからたのしい。

習慣として学ばなければならないことや身につけなければいけないこと、これからの未来のために、それらを打ち破って、想像・創造していかなければならないことなど、同じひととしてこどもたちとともに考えていける、そんなゆらぎのある場所であることがたのしい。

トライ&エラーが、赦される場である。
もちろん、安心・安全はたいせつである。
だからといって、たがいに監視・管理しあう関係性では、たのしいゆらぎは生まれない。

複眼で観る。

手を掛け合い、眼を掛け合い、心を掛け合う。

ときに呼び捨てされ、あだ名も付けられ、苗字でなく下の名前で呼ばれるが、その関係性が心地よい。

ちなみに、4年生のこたろうさんは、「先生は、髪型かわっても、いつもの先生でいいよ」と声かけをしてくれた。

ちいさなことではあるが、いつもの私、ありのままの自分でいられることの有り難さと、責任を感じるエピソードである。


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