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私の好きな場所「えんちゃん農場」

「レタスは4種類、春キャベツはぜひ生で。カーボロネロは結球しないキャベツで菜花は苦みがあっておいしい。カブは間引きだから小さいけどテキトーに取って齧ってみな。スイスチャードは3色あるけど茹ですぎると色落ちするからね。」
と長岡さんは畑に来た人へ丁寧に説明し、収穫のサポートをする。

 4月は端境期と言われ、一般的には畑で収穫できる農作物が少ない時期だ。周りの畑を見ても夏に向けた作付け準備のためか、土は耕されているが野菜はない。そんな中、この畑には畝ごとに様々な野菜が並ぶ。


 私が紹介する人は、横浜市旭区で有機農業を行う長岡親一郎さん、愛称はえんちゃん。ご縁を大切にするといった由来かと勝手に思っていたが、農業研修で「エンペラーっぽい」という理由でえんちゃんになったらしい。身体が大きくて、見事な髭を貯える。西洋のスマートな王様ではなく、中国の皇帝にいそうな見た目だ。

 この畑の最大の特徴は、援農者が集まるコミュニティがあること。週末になると、子供から高齢の方までたくさんの人が彼の元に集まり、楽しそうに農作業を手伝っている。
 私は5年前に彼と出会ってからずっと、コミュニティ運営に携わっている。現在、コミュニティ運営は20人ほどのメンバーがいて、年間のべ1,000人が訪れる畑に成長した。

 彼はよく「メンバーの活動を見守ることが楽しいし、若い人がやりたいことに突き進むのを見守るのも年上の仕事だから、その受け皿になりたい。」と言う。
 仲間を増やして有機農業をしたい、そして居心地の良さが畑に来る一番の理由にしたいという彼の想いに惹かれて多様な人が集まった結果、土を使った絵画や畑で採れる虫の標本、野菜を使ったお弁当作りなど、様々な形で畑の恵みが活用されていくからとても面白いそうだ。




 そんな彼の畑は私が最も好きな場所だ。しかし、彼がなぜ有機農業を始めたのかを正しく理解している人はほとんどいない。

「過去の経験は今に繋がっていないし、面白くないから。」

と言うのでこれまで深く聞くことはなかったが、私が足繁く通う場所は他になく、理由を考えたいと伝えると、「カミさんにも話していないかもしれない」と言いながら、ぽつぽつと語ってくれた。

 彼は広告の製作会社で15年働き、農業研修を行った後、2012年に就農した。両親、学校の友人、大学の教授の誰ともそりが合わず、会社の上司とも合わなかった。好奇心が旺盛で未知のことを知ることが好きなため、面白いよねとか、こう思わない?と会話ができる人が欲しくてたまらなくて、ずっと孤独感を抱えていたそうだ。
 それでも仕事が15年続いた理由はお客さんと後輩だ。
「お客さんと盛り上がって、パンフレットやプレスリリースを作って褒められるのが嬉しくて。上司には相談しないから怒られたけど。後輩の面倒を見るのも大好きだった。生活は破綻していたのに続けてしまったね。入社して3年残る人なんて2割しかいないのに。」

 その後、私が元々知っていた話は、仕事を続ける中で唯一の自由が食事のみで、有機野菜を手に取ったことがきっかけで就農したというものだったが、実際はそんなに単純ではなかったらしい。
「伝わりやすいからそう話していたけれど事実は少し違っていて。転職のために書いた履歴書はすべて通らなかった。サラリーマンはもういいやという気持ちが伝わってしまったのかもしれないな。」

 また、大学の頃から始めたJAZZ にケリをつけるため、アドリブを習得すべくスクールにも通った。
「高校生の頃に初めてJAZZを聴き、それぞれの曲が全然違うことに感動した。アドリブがやりたくて大学のJAZZ研に入ったけれど本気なやつは一人もいなくて。社会人になってレゲエバンドに誘ってもらい週末だけライブをしていた。退職したあとに、最後という気持ちで期限を決めて練習したけれど、目標のレベルに達しなかった。だから諦めて楽器もすべて売ってしまった。」

 農業をやってみたいというよりはむしろ、何か始めるしかない、飛び込むしかないという想いで農業を選んだそうだ。仕事を辞めてから2年が経っていた。

 農業の道へ進むことを決めた彼は、有機農業を学ぶため、神奈川県の相原農場で研修を受ける。きっかけを作ったのが、彼が「この人に出会ってから、人生を前向きに見られるようになった」と語るCさんだった。

 レゲエバンドのボーカルだったCさんは、「長岡君、飲みにこいよ。」とよく家に誘った。
 Cさんは各地転々としていて、旅する人生が好きだった。
「Cさんに、人手が足りないからと頼まれて仕事場に行ったら、たまたま有機農業の研修を受けた男性に出会って。彼が、日本有機農業者マップを見れば、受け入れてくれる農場が書いてあると教えてくれたんだよね。」
 調べてみると神奈川県は2か所しかなく、田んぼも学べるという理由で相原農場を選んだ。
「有機農業といえば相原農場と聞いていたから、卒業生も経営が成り立っているはずだと思っていたけれど、実際は誰も成り立っていなかった。」

 それでも有機農業を今でも続けているのは、少なからずCさんの影響があると私は思う。
「Cさんの家には大量のレコードがあって。選ぶレコードもなぜか気が合う。これ最高だよ、聴いてみる?ってかけてくれて。時間を忘れて語り合うということを30代で初めて知った。」

Cさんとの思い出話は止まらない。

「ある時、Cさんが『やっぱり人間は究極的には偽善者だからね』と言って。自分なりに解釈すると、有機農業を通して地球環境を守りたいという美しい目標だって、絶対に何パーセントか承認欲求が入っているなと。人間と承認欲求は切り離せないと認識したうえで、相手を俯瞰的に見るって重要だと思った。」という。

人はそれぞれ偽善や承認欲求を持っていて。そこは踏み込まないようにしつつ、畑に興味を示してくれたら熱量を持って応える。そういう距離感が良いかもしれないと気づいた。その結果、今は人生で初めて、本気で話しても普通に返してくる人たちに囲まれているよ。」

 私に微笑みながら伝えてくれた。

 Cさんとの別れは突然だったという。引っ越すから住所を教えると言われたのに、それっきり一度も連絡はないそうだ。再会できたらどんな話をしたいか聞いてみた。
「有機農業で何とか食べられるようになりましたよと伝えたいかな。Cさんは有機農業はやめたほうがいいと言っていたから。おそらくCさんは全国を旅する中で有機農家を訪ねていたと思うよ。現実を知って止めたのだろうね。」

 そりが合う人と出会えたということは、今後も出会えるかもしれないし、他人にとって自分もそういう人になれるかもしれないと希望を持たせてくれたのがCさんだったと教えてくれた。

 5年間、毎月のように畑を訪ねて色んな話をしてきたけれど、これまで一度も名前を聞いたことのなかったCさん。長岡さんは言葉にしなかったけれど、また会いたいという気持ちが伝わるインタビューだった。今の畑の姿を見たらCさんもきっと喜ぶはずだ。
 いつかCさんが畑を訪ねてくる時まで、私はこの畑に関わり続けたいと思うし、長岡さんとCさんのセッションをこの畑で見てみたい。

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