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一緒の場で『感情を共有する』ということは大事だなと

最近腰を痛めたこともあり、趣味のサッカーができずに家にいることが多くなった
とともに妻といる時間も長くなり、普段のちょうどいい距離感がなくなった

けどそれはそれで気付かされることは多々あって、いいこともあるんもんだなーと

特に最近暑いせいもあり、外に出ることを避けていたし、新しいところへ行く気力もなかった
そのため出かけるといえば近くのスーパー、図書館、近くの商業施設
毎日安定していて、気持ちは落ち着くんだけど、メリハリはなく感情も水平線
これもこれでいい時間の過ごし方だと思っていたけど、なんかモヤモヤしてきて、そうでもないのかなーって思ってきた

そこで植物を探しに今まで行ったことのない土地へ一緒に行くことにした
そこまでの電車の時間を調べ、場所を調べしているうちに面倒になってしまった近場でどう?って言いたくなったのだが、そこはグッとこらえて

そしていざ行ってみるとそこにはそんなにたくさんの種類の植物もなく空振り
なんだか残念な時間になってしまったけど、意外と気持ちはいい感じ
なんでだろう?

考えたらやっぱり知らない場所へ妻と一緒に行ったことが良かったのではないか
少なくとも知らない場所へ行くことで頭は働く
自分の想定を外れた景色や人物、建物が目に入る
バスの運行時間もわからないし、目的地も想定通りじゃない
そんな想定できないことによって、脳みそはフル回転し少し興奮しているいい状態になっていたのだろう
そして何より、それを妻と共有できたって言うのも重要
何かを感じた時に誰かと共有したいと言う気持ちは湧いてくるし、共有するにはその場に一緒にいた人が一番
お互いになんだかスッキリした感じで家に帰ってきた
感情を共有することって大事だなーと

ご飯を一緒に食べることで関係性を構築するって言うこともあるけど、それってご飯を食べたことの感情を一緒の場で共有することなんじゃないか

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