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オルハン・パムク『わたしの名は赤』

『オスマン帝国外伝』でオスマン帝国にハマった女です。
せっかくなのでNoteでオスマン帝国関連本の感想を書くことにしました。
『オスマン帝国外伝』が完結して早1年…結構色々な本を読んできました。
しかし鮮度が高い感想をできるだけ残したいので、最近読んだ本から始めていきたいと思います。
なお、オスマン帝国に全く無知である方へのフォローは少々おざなりです。
ぜひアマプラやHuluで配信中の『オスマン帝国外伝』を見てね!(軽々しく300話以上あるドラマを勧める女)

記念すべきシリーズ第一弾は『わたしの名は赤』にしました。
オルハン・パムク、ノーベル文学賞を獲っているので特にオスマンに興味ない方も読書家なら読んでいるタイトルのはず。
そんな本家トルコ人によるオスマン帝国が舞台なミステリー小説です。
訳は二つありますが、私は後発のハヤカワEpic文庫版を選びました。
担当している宮下遼の本『多元性の都市イスタンブル -近世オスマン帝都の都市空間と詩人、庶民、異邦人』を私は既に読んでいたので、イスタンブールという街並みへの知見があり、オスマン帝国時代の文学や詩に精通している人物だと知っていたので特に信頼がありました。
実際、文学研究されている方なだけあって、訳はこなれていて非常に読みやすかったです。

『わたしの名は赤』、その舞台背景

本作の時代は、壮麗帝スレイマンの孫ムラト三世が治めている最中。
あのセリムとヌールバーヌーの息子ですね。
そして今放送中の『キョセム』で活躍中のサフィエの旦那です。
なぜかこの『キョセム』は未だにHulu配信してくれないので、じゃあ前から気になっていた『わたしの名は赤』でも読んでみるか~時代も若干被ってるから予習にもなるだろ~とようやくポチってみたのでした。

ムラト三世、『オスマン帝国外伝』ではバヤズィト叔父上に一矢放ったり、親父セリムよりスレイマンじいちゃんに気に入られたりと、わりと良い描写だったと思います。
しかし実際のムラト三世を見てみると……正直セリムより無能かもしれないスルタンです。
スレイマンの置き土産であった有能大宰相ソコルル・メフメト・パシャが暗殺されてしまってからは、もうカバーしきれません。
叩き上げの実力主義の宰相たちはいなくなっていき、コネで採用された宰相たちと母ヌールバーヌーを始めとするハレムの権力が、オスマン宮廷を本格的に腐敗させていくことになりました。しかも嫁のサフィエはスパイ行為を働いていたので、もうめちゃくちゃです!
作中でも語られるサファヴィー朝ペルシアとの戦争は泥沼化し、メフメト二世以来大人しく属国してたワラキア・モルダヴィア・トランシルヴァニアも反乱を起こしてオスマンに勝っちゃったりしてます。それらの戦争により財政危機も訪れ、税がより厳しく課せられるようになりました。
そのくせムラトは贅沢三昧にハレムに溺れて無闇矢鱈に子供を作るばかり。
彼の息子メフメトは兄弟殺しの法に従い、19人もの兄弟の葬列を作り上げることになってしまいました。

これは『キョセム』第一話の冒頭で、ムラト三世の孫アフメトが語った幼少期の語りですが、もうこれだけ見てもらえば当時の雰囲気が何となくわかるでしょう。

無敵だった帝国の先行きが本格的に暗くなり始めた、そんな時代のお話です。

どこかうらぶれ始めたイスタンブール……。

そら……殺人事件の一つや二つ、起きるわなあ!?

というわけで、死体の語り口から始まる本作でした。

様々な視点から語られるオスマン帝国

この小説の最大の特徴、章が変わるごとに視点も変わります。
「わたしは屍」から始まり、主人公や犯人はもちろんのこと、細密画に描かれた犬や木や金貨が語りかけてきます。それがとっても楽しい。
八百万の神を信仰する日本人なので、このアニミズムな様式にはすぐ親しみを覚えました。
書物からはぐれてしまった絵ゆえに「わたしは、いかなる物語にいかなる寓意や気品を与えるはずだったのか?」と真面目に問いかける<一本の木>や、知らないものは描けないと言いながら自身を描いてしまった絵師の葛藤を語る<死>、贋金だけれど自分はいかに人々に愛されてきたのかを話す<金貨>あたりが特に面白かったです。
そんな絵たちや物は、場末の酒場代わりのコーヒーショップに集っていて、その独特な目を通してオスマン帝国に生きていた人々をより解像度高く描きだしています。

つまりオスマン帝国を多角的な視点から語り倒していて、当時のオスマン帝国の雰囲気に浸かりたい人にとっては最高の一冊に仕上がっていました。
読む前にイスラム文化というものを全く知らなくても、これ一冊読み終わる頃にはおそらくわかるのではないでしょうか。
私は一般読者よりかはオスマン帝国の知識を持っている人間で、二次創作ですが絵も多少は描くので、絵師の語りも含めて大変興味深く読めました。

歴史的には、壮麗帝スレイマンと戦っていたペルシアのタフマースブや、征服王メフメト二世と戦っていたウズン・ハサンの話が出てくると、それはもうテンションが上がりましたね!
特にタフマースブに関しては『オスマン帝国外伝』でもお馴染みなので、スレイマンの息子ジハンギルくんが言っていた絵の話、ちゃんと史実を反映していたんだ!ってわかって良かったですね。

『オスマン帝国外伝』のタフマースブ、本当に雰囲気のあるイケオジで大好きでしたね!

細密画から浮かびあがるオスマン帝国のコンプレックス

このタフマースブのもとで、イスラム細密画は最盛期を極めたらしいのですが、タフマースブもスレイマンと同じく後継者作りに失敗してしまったので、彼の集めた絵師も各地へ離散してしまうことになりました。
一方で、オスマン帝国の隆盛に押されていたヨーロッパは、ルネサンスを開花させていました。人々の考えは、神から人間へ、その視点を移しつつありました。もともとキリスト教徒はイエスを三位一体説で“神の子”と同格で見る考えがありましたから、そのような考えを受け入れられる土壌は十分にありました。
しかしイスラム教はそうではありません。「アッラーの他に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒である」――アッラーとムハンマドの線引きはしっかりしています。だからこそ偶像崇拝禁止も徹底していました。モスクに人間の絵画が全くないのも、その考えに基づくからです。
つまり絵という分野そのものが、もともと非常に危うい立場に立たされていたのです。イスラム教の絵は“主役”になりえず、あくまで文章に添える“概念”として存在を許されていたのです。

時代の流れを受けて隆盛する西洋画に対し、パトロンがいなくなりつつあったイスラム細密画は更に苦しい立場に追い込まれていました。

そんな時勢の最中、キプロス島を巡る問題でセリム二世の使者としてヴェネチアに派遣されていたシェキレの父は、その地で西洋画の遠近法の衝撃を受けます。そして辛くも帰国後、ムラト三世にその“写真のごとく生き写しに描かれた人の絵”の素晴らしさを説きました。
ムラト三世はヴェネチア出身の母と嫁を持つ人物、西洋文化に抵抗がないのは予想がつきます。
そもそも遡れば、『オスマン帝国外伝』でスレイマンが語った通り、コンスタンティノープルを征服したメフメト二世も西洋画マニアだったのです。
私はメフメト二世がスルタンの中では一番好きなので、この話がいつ出てくるかワクワクしながら待っていたのですが、ついに出てこないで終わってガッカリしました。某大統領の圧力に屈してしまったのか!?
まあとにかく、そのような前例もあるおかげか、ムラト三世も案外気軽に自尊心から、西洋画の様式に則った絵を工房の絵師たちに描かせることにしたのです。

それが惨劇の始まりになるとも知らずに……。

正直この小説を読むまで、イスラム教は偶像崇拝禁止なのになぜスルタンの絵が存在しているのか?という疑問をずっと抱いていたのですが、見事に答えを書いてくれていたので、とてもスッキリしました。
“概念”を描いているというその建前。自己顕示欲と信仰を擦り合わせて限りなく譲歩した結果の絵柄だと思うと、あの誰が誰だか判別がつかない人間の描き方がなかなか深く映りますね。
そしてそれで満足せずに堂々と西洋画に手を出したメフメト二世、やはり幼少期に親父に自尊心めちゃくちゃに圧し折られただけあるわ~~と改めて思いました。反動で自己顕示欲が肥大化しすぎたゆえに征服王として大成したと思うと、ムラト二世やる~~(棒読み)
なお彼の西洋画コレクションは息子バヤジット二世にほぼ破棄された模様。ほんと家族に理解されなさすぎて可哀想なファーティフです。

話がそれました。

あともう一つ疑問を持っていて、イスラム教の細密画と言いながら何処か中国っぽい絵柄だよなと思っていたのですが、それもそのはずで、アラブ絵画に中国やモンゴルの影響を受けてペルシアで完成した様式だと言うのです。
なるほどなあ!と感心するのですが、もちろん意地悪に私は思ったのです。
それはオスマン独自の文化とは言えなくないか?と。

だからこそこの小説の犯人は常に揺れ動き、衝動的に殺人を犯しています。
自分のルーツであるイスラム細密画を誇りに思いながら、西洋画の画法に心惹かれる自分もいる。
そもそも絵師が自己顕示欲を完全に捨てきれるわけがないのです。それを肯定している西洋画に惹かれるのは当然です。しかし自分のルーツを完全に捨てることも難しい。
その結果、心ゆくままに描いた絵を見て、彼は歪なその出来に絶望するはめになったのです。

「東も西も、神のものである」と苦し紛れにコーランを引用して言う犯人に主人公は言います。
「だが東は東、西は西だ」と。

それは東にも西もなりきれないオスマンという国が持つ強烈なコンプレックスの叫びでもありました。
ああ…ここがノーベル賞とれた理由なんだなあ!と私の心にも深く刺さりました。

オスマン帝国は東西の中心にいたからこそ柔軟に成長してきた国です。
教会をモスクに改造し、キリスト教徒の子供をデウシルメで取り立ててイェニチェリというスルタンの忠実な下僕にしながら、ヨーロッパやアナトリアを征服して大きくなった国です。そうしてエジプトやペルシアやクリミアといった西のイスラム国も従えて、自他共に“世界の中心”としての誇りがあったでしょう。
でもそれを裏返してみれば、彼らのアイデンティティはその坩堝の中に呑まれすぎていて、もはやはっきりとした形では取り出せなくなってしまっている。初代オスマンについて語れられるのは、お伽噺じみた夢のお話で、オスマン帝国のルーツは未だにはっきり断じることは難しい。
つまり“征服”という形で新しい様式を柔軟に受け入れてきたオスマン帝国が、有力な指導者を失って守りに入ってしまったがために、その唯一のはっきりしたアイデンティティも発揮できない時代。
バルカンの西洋国にも押され、サファヴィー朝ペルシアとの東の戦争も満足に勝利を収められない。
その自信の無さが、イスラム細密画の凋落にも如実に現れてしまった。
そのリンクの仕方が見事だったなあ!と私はとても感心しましたね。

西洋画の様式を取り入れたところで「オスマン人はオスマンであることもあきらめたようだ!」と嘲笑されるがオチだ。
その指摘があまりにも確信を突きすぎて、日本人の私も辛くなりました。
多分浮世絵を描いてきた日本人も黒船ショックで味わった辛酸に違いないので……。しかし、今でもマンガやアニメで負けじと独自の絵柄を世界に発信し続けている日本人は逞しいんだなと改めてオタクは誇らしくなりました。

犯人は最後、何もかも失って国を離れようとしますが、抗い難く自国への未練を残した結果、イスタンブールでこの世を後にするはめになりました。
彼は自分の犯した罪にツケをちゃんと取りました。
しかし、この最期こそが原作者が彼への手向けとしてかけた情けであり、愛国心の発露だったのだろうと感じました。
その物悲しい余韻がとても良かったですね。

カラとシェキュレという瑕瑾

作中、カラは犯人の手がかりを掴むためにオスマン工房の絵師たちに話を聞いて回ります。そして絵師たちは細密画を描くにあたる様々な教訓話を語り聞かせるのです。
中でも「優れた絵に自己顕示欲による瑕瑾を入れてしまうと見る者はどう感じるのか」というのが最も印象的でした。

なるほど……
つまり、この原作者もそうして読者に実践してるってわけだ?

そう。確かに、この小説はオスマン帝国の歴史小説としては最も優れているだろう。だからこそ原作者はノーベル賞を勝ち得ているのだ。
しかし、カラとシェキュレこそ、まさにその瑕瑾と言わざるを得ない。

特にシェキュレを読者にも愛されるヒロインとしてマジのマジに書いているなら正気を疑うね!!
原作者しか萌えてないヒロインでは……?と読者の私は作中の教訓話の通りに不幸になりました。

とにかくシェキュレに可愛げがないにも程があるので、幼少期に一目惚れというだけで盲目的に尽くし続けるカラにも共感しにくかったですね。
美貌の未亡人という設定だけでゴリ押すほどにも程がある。せめてその美貌について、もうちょい読者に説得力ある描写がほしかったですね。
シェキレの心情は、JRRマーティンの『氷と炎の歌』を読んだことのある方にはわかってもらえると思いますが、彼の書いたサーセイ視点やキャトリン視点や後期デナーリス視点と似通ったものがある女描写なので、あれが苦手な人は本当に辛いと思う。もちろん私は辛かった。
男作家特有の下ネタ書かないと気がすまない病も似てるので、苦手な人は気をつけろ。

パムク先生を擁護するなら、エステル視点に原作者は正気なんだなという描写が若干伺えますが、それでもそのエステルおばさんですら結局シェキュレ擁護派に回っているので、何処までも原作者に守られてる女……と鼻につきますねえ!!
言い換えれば、シェキュレを愛す登場人物はどいつもこいつも彼女の“見た目”だけを愛していて、人格はどうでもいいらしいので、そんなシェキュレが実は誰も愛しておらず利己主義者になってるのはある意味当然ではあります。彼女を真の意味で愛している人は父と子供を除けば誰もいないので。
でもこの女、子供のためとか言いながら、子供を叩いて間男の元へラブレターを泣きながら持って行かせる所業がどうしても許せなかったので、私は擁護したくないですね。全てにおいてエゴイストなので可愛げが0でした。
ヤザク!!

まあ一応ミステリーなんで、出てくる人間キャラたちがエステルを除いて恐ろしいまでにクズ描写ばかりなのは仕方ないのかもしれません。
一応最後にそれへのフォローが入る種明かしがありますね。
でもそれを言うのも、自分に甘っちょろい言い訳だけは非常事態であってもいつも欠かさない姑息なシェキュレなので、おまえもう黙れよという苛烈な感想を抱いて終わりました。
原作者がキャラのヘイトコントロール放棄した言い訳にしか聞こえない。
とてもずるい締め方だった。

なので、この小説を読んでオスマン帝国マニア的には良かったなあとは心から思うけれど、再読したいかと言えば二度と読みたくないです……。
世界権威に屈しない正直な感想でした。

最後に私のイスラム細密画を見ていってくれ

メルカリで買ったこのイスラム細密画、とても可愛いくて気に入ってます。
この本を読んで改めてこの絵の鑑賞の仕方もわかったので、改めてしげしげと眺めて感慨深い気持ちになりました。

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もともとゲームでもドット絵が好きな性質なので、この絵柄に好印象を覚えるのは当然だったのだなと思いました。
概念を描いた絵が好きな人は、この『わたしの名は赤』を読むとその理由をうまく言語化してくれているので、なおさらオススメしたい一冊です。

おまけ:オスマン帝国外伝ファン的な感想

ここからは『オスマン帝国外伝』視聴者向けのファンです。
本の読者は更に何言っているかわからないだろうと思うので、『オスマン帝国外伝』を見てきてから読んでください。

イスラム細密画と西洋画の確執というと、やっぱりヒュッレムの元カレのレオを思い出すので、もしかしたら彼はこの本が元ネタかもしれんなあ!と期待してましたが、むしろ参考になったのはイブラヒムの西洋趣味についての見解ですね。

みんなイブラヒムの西洋趣味にものすごく険しい顔してるなあ……と呑気に思っていたものですが、この本を読んで、あれは致命的に評判を落としているシーンだったんだなあと改めて実感できました。
ハティジェはよく我慢していましたね。まあ結局発狂していたが……。
スレイマンも基本的に寛大に容認してましたが、自作の銅像となるともはや看過できなくて破壊してましたね。スレイマンはメフメト二世と違って完全に信心深いムスリムで、『驕るなスレイマン』と常に己に戒め聞かせてきた高潔な人格なのもあって、あれは余計に許せなかったのでしょう。
まあ趣味は自由だけれど、ムスリムらしくあることもスレイマンに忠誠心を示すために重要なファクターであったのだと改めて思いました。
イブラヒムと同じ改宗者であるヒュッレムは、その点でスレイマンを不安にさせたことはありませんね。むしろ積極的にムスリムらしさをアピールして、その心を勝ち取っていた節すらあります。
その差もあって明暗を分けたのかもなあ…と思いました。

あとマトラーチュク先生の不思議な地図の描き方も理解できて良かったです。先生の描く建物、色々な方向を向いていてフリーダムだと思っていたが、あれは素晴らしい工夫だったのだなと。
それとドラマでは船でサドゥカを写実的に描いていたのをイブラヒムに見られて慌てて隠していたこともありましたが、あれ照れ隠しだけじゃなかったかもしれない。
西洋趣味に傾倒してたイブラヒムだから普通に流してくれたと思うと、文化人として自由に話しやすい相手だったのもあって、ドラマの二人は友達になったのかなあと思いました。史実では知りません。

それと最初のほうでも書きましたが、タフマースブについて更に人なりを知れたのは特に良かったですね!
バヤジットを食い物にし尽くした彼ですが、その金で更にスレイマン亡き後にセリムに贈り物をしてたんですね。食えないやつ~~。
おかげで、この小説ではえらいグロいクライマックスになりましたね……。思わず読んだ後、眼科の定期検診に行きました。
私もイスラム細密画絵師を見習って、夜明けに遠くの景色をぼーっと眺める習慣をつけようかと思いましたが、それはイスタンブールの絶景だから生涯続けられる習慣ですよね……
トルコ人はメフメト二世に本当に感謝だね!!

そして『キョセム』での、アフメトとキョセムの恋の始まり方。
あれは『ホスローとシーリーン』の似顔絵の一目惚れから始まった伝統的な恋物語の導入をなぞっていたのだな!と気づいて感心しました。
スレイマンとヒュッレム、そしてこのカラとシェキュレもそうですが、トルコ人は一目惚れから始まるロマンスが本当に好きなんだなあと思いました。

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