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終戦後の浮浪児を最貧から救う

【ネタバレ有り】映画「鐘の鳴る丘」の全3作を見た。「君の名は」の後宮春樹がかっこいい。戦後最高の美男子。


浮浪児の何がかわいそうかって、親がいない、家がない、つまりお金がないから生活できないのである。今日食べる物にも困って盗みを働き、罪人となり社会から脱落してしまう。汚れと窮乏から抜け出せない。


この映画は、児童福祉施設の建設にまつわるドラマである。後宮春樹が、感化院(少年院)を脱走して浮浪児となっているはずの弟を捜しながら、新橋の戦争孤児らとともに施設を立ち上げる。


今では考えられないことだが、行政が用意してくれた建物などなく、職員が配置されるわけではない。運営資金が割り当てられることもない。一から作らねばならないうえに、建立地の有力者が反対したために、村民の抵抗に遭う。困難ばかり。


この時代まで、生まれながらの身分は固定され、たいていの人は変化なく一生を終えた。国民の大半は被支配者であるから、過酷な労働から逃れられない。「皆が一様に生きる」ことを強要されたので、「規格」に適さない人間はひどい仕打ちを受けてきた。障害者はかたわと呼ばれ半人前の扱い。つまり障害は悪で、本人ばかりでなく家族も責められ、恥であり、非難の対象となった。


現代日本と違う点は道徳にもある。わたし達は欧米の個人主義と民主主義を、好き勝手に生きることと解釈し輸入した。幸福の追求と自己実現が各人における課題となり、昨今では、暮らしを楽しむことが正義にさえなっている。だから、社会を構成する個人としての役割・責任は影を潜める。作中で人々は、「善く生きる」、「立派な人間になる」のを人生の目標に掲げており、その使命は普遍的な価値だった。


後宮春樹と弟は、「君の名は」ばりに行き違って会えない。わたしは家族と引き裂かれたことがなく、いつでも会いに行ける環境にいるので、別離の不運を理解することはできまい。肉親が生きていることのありがたみを想像するに、やっぱり、失ってからわかる類の寂しさなのだろう。


片親育ちが結婚に支障する風潮は、戦後何十年も残った。その原点が、福祉視点の発生前における戦争孤児にある。


すれ違いに次ぐすれ違い。この筋書きは戦後の流行かと思ってしまう。そうでもないかもしれない。作者が「君の名は」と同じ菊田一夫氏なのだった。音楽担当の古関裕而氏とも、両作品において同ペアである。


「鐘の鳴る丘」(佐々木啓祐監督、1948年から1949年)

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