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救いようのない「重箱」ーーグルメ気取りの体面

胸〇そ系の読後感に耐性のあるかたはどうぞ。気の毒な自称グルメの描写です。
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あるときわたしは、過剰に舌の肥えた人物と2人で会食した。彼は実に、文句ばかり述べるのだった。わたしは、「歩く重箱(の隅をつつく人)」と名づけている。自分をグルメだと吹聴するのはいいが、決して楽しそうではない。哀れに写った。彼はすべての料理について、不満な点をあげつらった。お皿に乗ったあらゆる品目の1点1点の、どこが気に食わないかを明らかにした。

「ウニは好きだけどこういう味はない」「ほんとにキュウリ抜いてくれたのかな!」「○○ってこんな味だっけ、なんか違うよ」「お茶、すぐ薄まるッ(憤)」「フカヒレは少しがいいんだ、こんな皿一杯丸ごと出てもねぇ」
ちょっとした王様だ。

難の見当たらぬときには、「普通っていうか」「まぁまぁだね」とつぶやく。それがコース料理の頭から最後まで続くのだった。8皿分それを聞かされた。わたしは、「得るところの多い話だなー」としきりに頷いたものである。

わたしは彼の表情にも「不平不満体質」を見てとった。食べ物を口に運ぶときは眉をひそめ、砂でも噛むような苦々しい目で料理と対峙する。味わいながら(粗探しの時間)、苛立ちを含んだ仏頂面になる。ときに彼は、けだるそうに白けた。飲みこんだあとも不服そうに、釈然としないさま。つまり始終渋面で、くさくさしていたのである。

メインの前から彼は満腹を訴える。
「もうやだよー。食べすぎた、苦しい、なんで今日は食べれないんだろう?」

わたしはデザートを好まないので、断るか同席者に食べてもらうことになる(お店には最初に知らせて)。彼は希望したものの、出てくるときになってわたしはやめることを提案する。彼はその申し出をはっきり断った。段取りの通り2つ来て、テーブルの彼の前に並ぶ。もうおなかはいっぱいとのこと。そう何遍もくり返す。

呻き声を漏らしながら、力を振りしぼって、ゆっくりゆっくりと器1杯分を胃に収めた。しかし2個目は入らない。無理しなくていいよ、とこちらはなだめるのだが。彼はうつむいて小刻みに震えていた。ずいぶん長いことそうしていた。あきらめて下げさせてからも悔しがった。

彼はおなかをさすり続ける。わたしは食べ足りなくて、帰りに別れてからなんか買おうと計画していたから、いい気はしなかった。
「あー食べすぎた、量が多かった、そんなふうに見えなかったのになー。あー苦しい。今日はあんまり入んないなー、なんでだろう、食べすぎたよ。あー苦しい、食べすぎた、苦しいよー。はー苦しいよー。今日どうしたのかな。あーもう無理。苦しいなぁ、食べすぎたなぁ! 無理。はーきつい! 苦しいよぅ!」

そして食後の一服も終わりになると、自分はああしたかった(のにそうならなかった)、あれは特筆に値しないと、細かく思い出しては批評した。ふてくされながら総括してきっぱりと放言するに、「特徴がない(キリッ)」と。

わたし達はお店を後にした。帰ってほしくないそうなので、喫茶店くつろぐことにする。彼は、聞き上手を相手に気を良くし、この日出てこなかった嫌いな食品の数々を逐一語り出した。何が大嫌いで、許せないか。その根拠は。脳がそれらを拒否するとはどういうことか。いかように誰からも理解されないか。周りはどのようにして「自分の正しい言い分」を否定するか。彼は解説を延々とやめなかった。喫茶店が閉店を告げるまで。それが「グルメ」だと主張せんばかりに。

わたしは彼を「歩く重箱(の隅をつつく人)」と呼ぶ。お重の肝心の中身・大部分を味わえず、隅々にこそ惜しみない神経を使う。一意専心の末に「気に入らぬ要素」ばかり掘り出す。それはボトルネックとなり、料理の評価を地に落とすのだった。

彼は何に対しても減点法なのだろう。不平不満だけが彼を構成しているに違いない。誰も同調しなくていいし、そのせいで彼は孤立を極める。わたしにできることは多くない。

(このページは、3本後の「あまりおいしくない食べ物(意味深)が増えますように」の元記事です。)


ありがたいことです。目に留めてくださった あなたの心にも喜びを。