Here's to the mess we make
2024年、ひどく物騒な幕開けになったものだといつか笑える日がくるのだろうか。
暖房の効いたあたたかい部屋で、家族とくだらない話をしながら、ぼうっと眺めたテレビから流れる緊急地震速報の音。NHKのアナウンサーが叫び避難を誘導する声。ふーわふーわと長い時間揺れたあと、震源地の様子が映し出される。ひしゃげた家屋と押し寄せる波と、犠牲になった人々を表す数字。
ひと晩明け、地震は嫌だね、怖いね、何かできることがあればいいねと話しながら携帯で募金サイトを調べていたら、気付けば旅客機が炎上している。乗客乗務員全員の無事が確認されたと安堵したのも束の間、海保機側の壊滅的状況を知る。
次は九州で商店街が燃え崩れ、東京では刃物を持った女が暴れていた。
すべて私の住んでいる関西および東海地方とは特に関係のない地域で起こった話だが、それでも毎分毎秒飛び込んでくるニュースに神経を削られ、さすがに堪えた。
半年前に別れた男から、恋人ができるらしいと言われた。ほぼ毎日のように連絡をとっていたから、その延長線での報告だった。
こういうことを律儀に連絡してくる所はとても好きだったが、日本中を取り巻くニュースに疲弊しきっていたところへ追い打ちをかけられた気持ちは正直なところあった。
平気なふりをして「おめでとう、幸せになってね」と送り、彼からの返信に彼だけが呼んでいた私のあだ名を見つけてほんのひと筋だけ涙を流した。
LINEのトークルームを削除する。互いにつながっていたインスタもそっと外す。ついでに外せないままでいた彼の友人たちも。これで本当に他人。出逢わなかった人になる。
どうか彼のもとに溢れんばかりの幸せが訪れますように、と届かない祈りをひとつ。これで私も前に進もう。
さすがに「いま言うなよ、そういうところだぞ。きみはいつも相手のタイミングというものを考えない男だね。でもそういう自由さが好きだったんだろうな……ぐすぐす」という思いはあったが(長い)、想像していたよりかはダメージを受けていない自分がいた。
なんでも話せる男友達を失うのは初めてじゃない。異性愛至上主義の世の中で、異性の友達と未来永劫親友でいることなど不可能に近いこともわかっている。
ましてや、一度関係を持った男なら尚のこと。
それに、今の私はもう過去を振り返らないと決めているから。
何かをしたくてたまらない。そんな衝動に駆られながら、年始はずっと狂ったようにアウトプットを続けていた。
躁鬱の躁、と自分でも明確にわかるくらいにおかしかった。口からはべらべらと自分の想いが溢れ出てくるし、その傍でまったく違うことをツイートし続けている。
TwitterとWordを交互に開き、まあまあの文章量を書き記し、それでも飽き足らずにこうしてnoteまで書いている。
何かをしたい、が、「何かを表現したい」だと気付いたのはいつの頃だろうか。
大学時代、どこぞやのショーキャストのカメコをしていたころ、私はその関連で小規模のミュージカルや舞台などによく足を運んでいた。
また、京都の学生という身分を最大限に生かし、小劇場へ行ったりしていた。
社会人になり、私はぱたりと舞台へ通うことをやめた。映画もほとんど観なくなった。仕事や恋愛のことで頭がいっぱいで、物語にのめり込むことに疲れてしまっていた。
強いアルコールで脳をだましながら労働し、気付いた時には仕事以外に取り柄のない、どうしようもない人間ができあがってしまった。
本当は発信する側でいたいくせに、何かと理由をつけてそこから目を背けて、受け手としてコンテンツを享受し続ける。
そのくせ、結局は自分でああだこうだ言いたくなって、解釈を押し付けるかのような説教臭い二次創作ばかりを生み出している。
そんな自分がずっと嫌だった。
「ラ・ラ・ランド」でエマ・ストーンが歌うAuditionの歌詞が好きだ。夢追い人に乾杯を。愚かに見えるかもしれないが。
この歌が、あの映画自体が私に刺さるのは、私が夢追い人になれないからだ。
ミアとセブのように、自分の夢に真正面から向き合って、その他の事象を犠牲にする覚悟を持てないから。
だから、私は推しを作ってしまう。
アイドルも役者もミュージシャンも、私が自分ひとりでは決して見ることのできない景色へといざなってくれる。
そして、彼らはまっすぐに夢を追いかけ生きている。己が生かされている理由は夢を実現するためなのだと、ステージの上でスポットライトを全身に浴びながらそう教えてくれる。
その愚直なまぶしさが、好きなのだ。
28歳。
年齢に囚われるのも癪に障るが、異業種への転職やらワーホリやら、何かにつけて制限される30歳の壁が少しずつ見えてきた。
仕事が忙しいし。
ちゃんとした暮らしをしなきゃだし。
結婚して子どもを産んで家庭を作るべきだし。
そもそも私には何の才能もないし。
「ふつうの人」にならなきゃ。
そんなくだらない言い訳に、私の貴重な人生をどれだけ消費してしまったのだろうか。振り返るだけでも悍ましい。
けれども、真面目で臆病な私は、世間の目だけが自身の価値を測るものさしだった頃の私は、そう言い訳をしながらテンプレート通りの道を歩むしかなかったのだ。
過去の自分を今更どうこう言うわけではないけれど、何かを成し遂げたければまずは行動すべし。何もせず世間を呪って生きたとして、あと数十年を穴倉の奥で膝を抱えて生きていきたくはない。
2024年、何かを始めるには良い年とされるこの年に、少しだけ夢を追いかけてがむしゃらに生きてみるのもいいのではないだろうか。
私がほんとうに生きたい人生、己が生かされている理由と、言い訳もせずに真正面から向き合う1年にしたい。結果として、それが「ふつうの人間」になることだったとしても。
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