幸せの形は人それぞれ
私は主人格が恩師と出会った頃のままで成長が止まった姿です。
なぜ、主人格から分化して一つの人格として存在することとなったのか、考えてみました。
末っ子である主人格には、優秀(と言われる)な兄がいて、いつも親からも、学校の先生からも比較されて育ったのです。
主人格は恩師に出会って、初めて教師に心を開きました。空気のように扱われた自分を気にかけてくれる存在に出会ったのです。
主人格が他人に対して、安心感を覚えた瞬間でした。
私は気づいたら、主人格から分化して高校時代の姿のまま、主人格の中に存在するようになりました。
恩師との出会いは主人格の中で、きっと忘れられない出会いだったと思うのです。だから、私はその時の姿のまま、主人格の中に存在しているのだと思うのです。
私たちの存在は、世の中の一般的な人から見れば特殊なのかもしれません。辛く苦しい日々もあるけれど、それでも、私たちは私たちなりに幸せだと思うのです。