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【R18】中編サスペンス小説 ワルプルギスの夜(サンプル)

【あらすじ】
 チエは女性センターの相談員。警察官であった夫は3年前に殉職し、夫の元同僚であるヤスとは仕事上、協力し合う仲。
ある日チエのもとに、ヘルス嬢の杉山ミカという女性が相談にやってきた。
転職したので、託児所がなく娘のミリを預かってくれる保育園を紹介してほしいという相談だった。
しかし、杉山ミカは何者かに殺害されてしまう。
ヤスによると、新興勢力である違法風俗があちらこちらの風俗店から人気嬢を引き抜いており、杉山ミカがもと所属していたヘルス『ベビードール』を仕切っている島口組系興竜会が、その違法風俗をつぶそうとしているらしい。
チエは、ヤスに付き合って、大量に引き抜かれた風俗嬢たちがどこで働いているのかを探りにハプニングバー『シャクティ』に行くが、行きがかり上そこで出会った男と絡み合っているところをヤスに見られてしまい、ヤスとの仲がぎくしゃくしたものになってしまう。
そして、杉山ミカの幼稚園児の娘であるミリが何者かに連れ去られてしまい、チエは「ワルプルギスの夜に魔女は闇夜に消える」という禍々しい犯行予告を目にするのだが……。

【本文試し読み】
 
 朝一番の相談者は、赤茶色に染めた髪に人懐こい童顔の女性だった。小柄で可愛らしいので、デニムのスカートが超ミニでも、カットソーの裾とスカートの間から、日焼けしていない白い肌を覗かせていてもあまり露骨にいやらしい感じはしない。それとも、私が夜の仕事の女性に馴れきってしまっているからなのだろうか。
 その女性は、ピンク色のふわふわしたワンピースを着た女の子の手を引いている。名前を思い出そうとしたけど上手く思い出せない。何度か相談を受けたことがある。暴力を振るう夫とはたしか離婚したはずだ。ひとり親に対する支援プログラムもひととおり紹介したけれど、結局マンションと託児所を用意してくれる職場を見つけて就職したんだった。子供を連れているところを見ると、何か託児所のトラブルでもあったのだろうか。
 あるいは、仕事を変えたので、公立の保育園に子供を入れたいという相談だろうか。夜の仕事をする女性にしては、朝が早すぎる。彼女たちが相談に来るのはたいてい昼過ぎだ。
「おはようございまーす。今日はチーママがお当番なんだね。ママはどうしてるの?」
「おはようございます。ママはちょっと体調が悪くてね、休んでるわ」
 私は、新宿区の女性相談センターの相談員だ。ベテラン相談員はママ、私はチーママと呼ばれている。最初はママと区別するために、チエママと呼ばれていて、それがいつの間にかチーママになった。
 そうだ、杉山さんだった。ミカちゃんっていうのは、本名だったけ、源氏名だったけ。ブースの椅子に座る杉山さんの顔をさりげなく観察する。顔や体に暴力を受けたあとはなさそうだし、顔つきも晴れやかだ。深刻な相談ではなさそうなので、ほっと胸をなでおろす。
「杉山さん、今日はどうしたの? 彼とは上手く行ってる?」
「うんまあ。おかげさまで。一応働いてくれてるよ、ビラ貼りだけど。あのね、職を変えたら託児がなくなっちゃって、ミリを公立の保育所に入れられないかなあ、なんて」
「お安い御用だわ。この用紙に必要事項を記入して」
 公立の保育所はどこもいっぱいだけど、杉山さんはひとり親なので、ミリちゃんひとりぐらいなら何とかなるだろう。ひとり親世帯の子供は優先的に公立の保育所に受け入れられることになっている。
「仕事変わったんだ」
 朝早く私のところに来たところをみると、夜の仕事からは足を洗ったのだろうか。
「うん、楽な仕事を見つけたの。一日十人も抜かなくていいから天国みたい」
「へえ、よかったわね」
 口ぶりからは、転職したといえども相変わらず射精産業って感じ。でもこちらから業種を聞いたり、風俗産業と聞いて説教を始めたりはしない。相談者が、風俗産業を辞めたいというのならそれなりの協力はするけれど。
「楽な割に稼ぎは、悪くないんだけど、マンション支給じゃないのがちょっと。託児もないし」
「住むところは決まったの?」
「なんとか。今までいたところよりはずっとボロだけど」
 杉山さんが、書類に必要事項を記入している間に、回転椅子の上で膝立ちになって窓の外を見ているミリちゃんの、櫛で綺麗に線を引いて二つに分けられた髪を見ていたら、娘のエクリが小さかったときのころを思い出した。エクリも髪を長くしているのが好きだったので、毎朝櫛できっちりと二つに分けていろいろな形に結った。ミリちゃんの髪は、プラスティックでできた苺がついたゴムで結わえられていて、ミリちゃんが動くと子犬の尻尾みたいな髪と一緒に苺も揺れる。
「ミリちゃん、いくつになったの?」
「ミリちゃんいつつ」
 ちいさな手のひらをいっぱいに広げてミリちゃんはにっこりと笑った。それから、杉山さんのデニムのミニスカートのベルト通しを引っ張って、ごね始めた。
「ねえ、ママったら、早く帰ろうよ。今日はヒロシ君がパチスロに連れてってくれるんだから。早く帰らないとまたヒロシ君どっかに遊びに行っちゃうよ」
 ヒロシ君というのは、杉山さんの新しい彼氏のことだろう。五歳児をパチスロに連れてくって、微笑ましいと言っていいものか、ちょっと悩む。
「へえ、いいなあ。優しいパパなんだね。ミリちゃんはパパ好き?」
 結婚していないのは知っていたけど、便宜上パパと言ってみた。お節介だとは思うけど、職業上、虐待されていないかチェックを入れるのが癖だ。
「ヒロシ君は、パパじゃないよ。ヒロシ君は今はママの彼氏だけど、ミリちゃんが大きくなったらミリちゃんと結婚するんだよ」
「へえ」
「もお、何言ってんのよ。ミリの馬鹿。子供はパチスロじゃなくて保育園に行くの。あ、チーママ、これでいいかな」
 簡単に書類をチェックして、印鑑を押してもらった。
「これでオッケー。保育所からは今日明日にでも連絡があると思う。もしなかったらここに電話して」
 そう言うと私は、保育所の電話番号を書いてたメモを渡した。
「了解。さすがチーママ。頼りがいがあるわ。ところでさあ、今度うちの店にも遊びに来てよね。カード渡しとくよ。ほら、チーママもストレスたまるでしょ。私みたいなのが毎日毎日掃いて捨てるほど来てさあ、男に殴られたとか、やり逃げされたとか、マワされたとか、わけわかんない相談受けるのも」
 やり逃げと、マワシは女性相談の管轄外だ。それにしても、杉山さんの新しい職場って、風俗じゃないのか。私でも行けるような店なんだ。杉山さんは、ダミエの財布の中のあちこちを開けて、店のカードを探していたけど、見つからないようだった。
「あ、カード切らしてるや。ごめん。今度来た時にカードもってくるね」
「いつでもいいわよ」
 杉山さんの店に行くことには、あまり興味がなかったので、適当に調子を合わせておいた。
「チーママいつもありがとう。あたし帰るね」
「それじゃあね。保育所大丈夫だと思うけど、また何かあったら相談してね。ミリちゃんバイバイ」
 杉山さんとミリちゃんを見送ってから、給湯室でコーヒーを入れ、相談内容を報告書に書き込んでいるときに、電話が鳴った。娘のエクリからだった。
「ママ、久しぶり」
 娘とはここのところ、ずっとすれ違っている。劇団の公演が近づいていて、帰りが遅い日が続いているからだ。劇団といっても芸能人予備軍みたいなのではなく、主に下北沢に生息しているようなアングラというか、わけわからない系の芝居を打つようなところだ。エクリはその手の劇団の中では比較的名前の知られたところに所属している。基本的には真面目な子なので、ちゃんと学校に行っているのなら、厳しい門限などは設けていない。でも高校二年生にもなるんだし、彼氏でもできたのだろうか。
「エクリ、大丈夫なの? 最近帰りが遅いけど」
「うん、大丈夫。ちょっと疲れてるけど。で、今日も練習で遅くなるって、今のうちに言っとこうかと思って」
「無理しないのよ」
 いや、やっぱり違うな。うちの子に限って、などという変な自信を持っているわけではないけど、芝居が愉(たの)しくて仕方がない、という感じなんだろうと思う。
「わかってる。ママこそ」
「私は今はそれほど忙しくないから大丈夫」
 年度末の修羅場は越えたばかりなので、今はリハビリ中というところだ。春なので、メンヘラ系の相談者が増加する季節ではあるけれど。
 娘からの電話を切ると、私は区内の保育所リストを出して、ミリちゃんが入れそうな保育所を探した。
 

「大きくなったら、シゲちゃんのお嫁さんになる」
 エクリがシゲキに会ったのは、ミリちゃんよりずっと大きくなってからだったけど、出会ったころは、この台詞がエクリの口癖だった。女の子ってみんな同じことを言うんだなあ、と思ってひとりで笑った。短い間だったけど、シゲキは、本当にエクリのいいお父さんになってくれていた。
 私の夫であったシゲキは、三年前に覚醒剤の大量ディーラーの一斉摘発の際に、犯人グループの発砲した弾丸に当たって殉職した。どこから見てもチンピラっぽくて、警察官には全く見えなかったけど、いつも一番下の立場に立ってものを考える人だった。
 シゲキに初めて会ったときのことは、今でも忘れない。私が女性相談員になって二年目のことだった。
「ヨウコって女知らないか」
 挨拶も自己紹介も抜きで、ヨウコという女を捜しに来たのは、シド・ヴィシャスに無理やりスーツを着せたみたいな、チンピラ風の男だった。やっと風俗の看板もちから一番下の役つきに昇格して無理矢理スーツを着せられたんだろう。春はチンピラも昇進の季節なのか。そんなことを考えながらも、どうやって追い払おうかと、一年間の相談員生活でつけた知恵を総動員していた。ヨウコというのは、一週間ほど前にパートナーの暴力に関する相談に来た女性のことだと思う。深刻なケースだったので、住み込みの職を探す手伝いをして、行き先を告げずに暴力男の許を去るようにアドバイスした。こういった処理のあと、男が女を探し回るのはそう珍しいことではない。
「ヨウコさんって、どなたですか」
「池島ヨウコだ」
 確かそんな名前だった。間違いない。
「そんな人知りません。何かの間違いじゃないでしょうか」
 否定するタイミングが早すぎると、嘘っぽいので、しばらく考える振りをしてから、つとめて落ち着いた口調で言った。
「クソ、ばっくれるんじゃねえよこのアマ」
「ちょっとあんた、あんたがヨウコさんのなんだかは知らないけど、あとをつけ回すのはやめなさいよ。大体女を殴る男なんて、人間のクズじゃない」
 ヨウコなんて知らない振りをしていたのも忘れ、思わず熱くなってしまった。
「いい加減にしないと警察を呼ぶわよ」
 男はしばらく呆けたように私の顔を見ていた。そんなに警察が効いたのか。ざまあみろ。
「ああ、悪かった。言い忘れたけど、俺はその、警察から来た」
 男はそう言うと、真新しい警察手帳を見せた。それと同時に電話が鳴った。
「あ、チエちゃん、ヤスだけど」
 ヤスというのは、新宿署の刑事だ。こういう仕事をしていると、歌舞伎町で働く女性にはいやでも詳しくなってしまう。街娼や、無認可風俗店の一斉摘発をしたときなどは、行政のケアが必要な女性たちが私のところに送られてくる。だから、ヤスとは個人的にもそれなりに親しくしているわけだが、チエちゃんとなれなれしく呼ぶのはやめてほしいものだ。
「ヤスさん、おはよう……あのさ、警察から人来てんだけど」
 われながら間抜けな言い方になってしまった。
「あ、うちの出向社員もう着いてるか」
「え……ヤスさんとこの?」
 そう言いながら、目の前にいる男を上から下まで観察した。
「本店からの出向なんだけど、聞き込みの仕方もよくわかってないから、一応電話入れといたほうがいいかなと思って」
 本店からの出向というのは、国家公務員として採用された警察庁のキャリアのことだ。嘘だ。どうみても下っ端のヤクザにしか見えない。
「ちょっと変わったヤツだけどよろしく頼む」
 ヤスからの電話を切って、もう一度目を観察した。やっぱりシドに似てる。端正な顔立ちとか、アナーキーな雰囲気とか。キャリアだって? 信じられない。
「……申し訳ない。俺は新宿署の新入りの本田繁樹ってんだ。よろしく。チエちゃん、いやチーママのことは、ヤスさんから聞いてた」
 初対面のくせにチエちゃんなんて呼ぶな。変に照れくさくなって私は赤面した。
「女性相談員の松山知枝です」
 それから、シゲキは、池島ヨウコが、同棲相手が売り捌(さば)く予定だった覚醒剤一キログラムを持ち逃げしていることを私に説明した。
 そんなふうにして私たちは出会い、結婚した。
 そして、シゲキは私の人生の最も幸せだった七年間を持って、唐突にあちら側に行ってしまった。
 
 その日は、離婚相談が一件と、ひとり親支援が一件しか相談がなく、締め切りの差し迫った報告書の作成などもなかったので、年度末に全国の自治体で予算消化のために作成された、世論調査、白書の類(たぐい)に目を通したり、ライブラリーに置いているフェミニズム関連の本を読んだりして過ごした。年度始めは大体いつもこんな感じだ。
 昼休みが終わる頃に、高校のとき一番仲が良かった友人のユカリからメッセージが入った。著者名とタイトル、出版社名と、絶対に読んでみてという短い文章だけのメッセージだった。出版社も著者名も全く聞いたことがなかった。まさか、と思ったけど、とりあえず仕事が終わってからチェックしに行こうと思った。

※ この小説はフィクションです。作中の人物や団体などは架空のものであり、実在するものとは一切関係ありません。

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