映画が公開してようやくウルトラマンタイガが終わるので心の断捨離をしていこうと思う
8月7日 ようやくか、という安堵を感じずにはいられなかった。そしてこれを期にタイガという作品(テレビシリーズ)について自分の中で渦巻いていた色々な想いを形にして整理しようと思った。
ウルトラマンタイガはほとんど毎回と言っていいほどゲストキャラが犠牲になったりトレギアが最後の最後で首突っ込んで場を荒らして終わる。だから特に見応えもカタルシスも感じない内容でただストレスが溜っていく。しかもそのストレスを与える展開にとくに必然性が感じられない。「これが起こるから結果こうなる」が極めて気薄なのだ。辛気臭い展開が続く割には主人公側が何かを救えなかったりした時にそれを通して成長するとかが基本的に無い。ウルトラマンに変身する地球人というヒロユキならではの視点で描けるものがもっとあったように思えるのだが残念ながら彼自身のパーソナルな部分の成長に繋がるような話もなかった。しかもタイガは一見任侠もの、魔法少女、霊能力者などバラエティに富んだゲストが出てくる話が多いように見えてその実同じような話運び、同じようなキャラ配置で印象の悪い話を手を替え品を替え繰り返し出してくるので見ている側が毎回毎回こんな結末誰が望んでいるんだ?と疑問を抱くようになってしまう。
制作側はこの起こることに結果や意味を持たせないただ見ている側を嫌な気持ちにさせる描写を変に「こういうのがリアルなんだよ」としたりそれを従来のウルトラシリーズの問題作と呼ばれるような左翼的なエピソードの後味の悪さと混同しているところがあるように思える。
なんというか、古臭い。令和一発目の作品にして色々と古い。タイガはそもそもお話が破綻していることが多いのでそういった部分に触れるところにまで中々到達できないのだが、単にもう今の時代にあってないものをお出ししてウケなかったというのはあるのではないか。昔売れた手法、過去流行したものをテンプレとして盛り込んで失敗した、みたいな。率直に言ってダサい。いろいろ盛り込みすぎてお話の要素として不自然、違和感を感じさせる構成になってることがままある。
そういえばこの不自然な「不幸な犠牲枠」にはタイガより1つ前のルーブに出てきた美剣サキというキャラクターにも感じたことだった。唐突なキャラクターだった挙句自棄になって地球と心中しますなんて言う女にただでさえ感情移入できないのに物語は主人公二人そっちのけでアサヒと美剣の交流に時間が割かれていく。その割にはアサヒという存在に心打たれ地球と心中はやめて協力するわけでもアサヒとの友情を育んだ上でそれでも自分は兄の仇を打つ為にアサヒをクリスタルとして利用したり斬り捨てる程確固たる意志でルーゴサイト打倒を目指す修羅の女に描かれたというわけでもない。そのあたりなあなあのまま何やら勝手に満足して死んでいったのも「その方が盛り上がるから」というような都合としか思えなかった。美少女や健気で無垢な生き物が死んだら盛り上がるのはテンプレだから入れてこうという安易さを感じてならない。これまた十年くらい前の深夜アニメ等で流行った展開な気がする。
少し逸れてしまったので話をタイガに戻そう。
タイガの移民問題(を、どうやら描きたかったらしいが全然描けていない)描写が批判されるのはあまりにも公平性に欠けるからだと思う。エピソードは総じて宇宙人寄りの話なのに何故か人間が悪く描かれている。タイガで行われてるのって地球に住む人間と他の星から来た宇宙人の関係ではなくて主人公とその周りの宇宙人の関係なんですよね。タイガの世界って「この地球に宇宙人が密かに暮していることはあまり知られていない」のだからイージスに属しているヒロユキ達と違って多くの人間達は宇宙人が地球で密かに生活してるとは知らないわけであって。しかも実際問題ヴィランギルドとかいう地球でコソコソ悪さする宇宙人が存在してしまっているのに地球人は自分に都合が悪いと宇宙人を迫害する!とか言われても…。そりゃ一般人からしてみればそんな得体の知らない宇宙人なんて地球から出て行って欲しいに決まってるでしょ。いい宇宙人なんてそれこそいつも街を怪獣や宇宙人から守ってくれるウルトラマンしか知らないんだから。このヴィランギルドとかいう設定は共存や差別問題を描く上で余計に毒になってしまった印象を受ける。その辺りもそういう設定ウケそうだからとりあえず出したってだけに思えてならない。確かに面白かったかもしれない。ちゃんと本筋に活かせていれば。
タイガの宇宙人への差別問題、共存問題ってとことん地球人側に対してフェアじゃない。これはタイガのみならずオーブあたりからのニュージェネレーションヒーローの作品に往々にして感じることではある。雑なデモ描写がその最たるものだと思う。適当に宇宙人を追い出そうとする人間描いとけばヘイト稼げるでしょ、みたいな。どう?人間って醜いでしょ?こんな奴ら守る意味あるの?と散々地球人側へのヘイトを募らせる描写をする割には一方でこんな善良な一般市民も居ますよ、というフォローは意地でもしない。ヘイト対象を作ればそいつらのせいにすればいいから安易にそちらの方へ舵を取ってしまう。
100歩譲ってそれでも良かったですよこれまでは。でも異種間の共存をテーマにした作品でそんな風に楽をしようとしないで欲しい。
人間は本当に守る価値があるのか?という主人公側の葛藤だとかはこれまでのウルトラシリーズから続く1つの命題ではある。ただし、この「醜い地球人描写」を制作側は何か勘違いしているように思えてならない。
タロウの息子であるタイガにうんざりするほど入れられたセブン・帰りマンのオマージュも「古参オタクはこういうのやっておけば喜ぶでしょ」というファンをコケにしつつも"保険"としての作用の為に入れられたものだった気がする。特に共存や移民については制作者達は怪獣使いと少年の様なものを描きたかったのかもしれないが令和のこの時代に怪獣使いと少年をやる意義を考えたい。
怪獣使いと少年のようないわゆる問題作、話題作と呼ばれるエピソードの数々は当時の社会情勢に向き合い切り込んだ内容だったがその当時のものをそのまま令和に持ち込んでどうするのか。現代の社会問題に真剣に向き合わずやっているのは劣化した帰ってきたウルトラマン。重ねて言うと怪獣使いと少年は少年を気遣いパンを与えようとするお姉さんのような存在が物語において絶妙な役割を果たしていたのだがタイガにそういう存在っていただろうか。本当に上澄みだけ汲み取ってそれっぽいものを作った気になってるだけに感じる。昭和の描写をそのままやってどうするんだろう。どういうつもりだったんだろう。
前述でも少し溢したが、要するにタイガって令和最初の作品でありながらものごとの描き方が時代遅れなのだ。いじめる側といじめられる側がいるのは現実だよ。犠牲が出るのは仕方ないよね。でもその犠牲を乗りこえることでまた一つ大人になるんだよ。それがリアルだよ。そりゃそうかもしれないがそれって現実に丸投げして作品内の問題への思考を放棄してないか?そうだとしてもそうじゃない世界を構築することを模索するのが現代のウルトラシリーズに求められているものではないのか。例えばチビスケを失ったヒロユキがもう二度と誰も犠牲になんかしないと決意する描写は描けなかったのだろうか。それを見て人の心に触れるタイガを掘り下げられなかったのだろうか。それぞれ出自が異なるトライスクワッドの思想を交えてみんなで問題を解決しようとぶつかりあったり結束したりする描写って過去作のオマージュよりも先にやらなきゃいけなかったことなんじゃないか。
子供向け番組にそこまで期待されても…ではない。子供向け番組だからこそちゃんとテーマと向き合ったのか?共存とはどういうことか練ったのか?それを子供に見せてどう感じて欲しかった?どんなメッセージを残したかった?タイガってそこのところ真剣に考えてないんじゃないかという風に思えてならないし、こういった繊細なテーマを扱うにあたり十分議論して掘り下げなかったことについてはもっと怒られてもいいと思う。たくさんの人が集まって作られているのだからこんなんじゃ不誠実だと誰かが指摘するべきだったのに。本当は誰も真剣にテーマについて主体的に考えなかったんだろうなというのが丸わかりなのがひたすら浅慮だ。
ウルトラマンタイガという作品が制作側のウルトラセブンと帰ってきたウルトラマンへのコンプレックスを発散させる為の道具にされたことはもう最悪としか言いようが無い。一種の呪いだとさえ思う。もしこれをファンサービスだと思ってやっているのならファンを馬鹿にするのも大概にしてほしい。我々が昭和回帰を望んでいるのではない。制作側がやりたいだけなのだ。
出自の異なる三体のウルトラマンが居て人気声優が演じる、となれば他社の作品で例えるのは良くないと承知の上で敢えて言うが視聴者が期待していたのは電王のようなものだしタロウの息子を散々宣伝文句で使ったならファンが期待するのはタロウ要素やタイガがタロウの息子であることで展開される物語とその上で描かれるタイガ個人の青春であったはずだった。映画でタロウを出すなら息子を助けに来るカッコいい父として活躍するタロウだったのではないか。
要は単純に制作側が視聴者の期待に応えられなかったということなんだろうなとは思う。
キャスト変更で現場は相当疲弊したのは一視聴者に過ぎない自分にも想像に難くない。
ただ、タイガが抱える問題はもはやそれが免罪符にはならない。
小手先だけの話題作りだけは達者だがそれを作品に昇華する力を円谷プロは持ち合わせていないようだ。
タロウの息子というカードを切っておいてこんな結果に終わったのは本当に残念でならない。