昔のメモの、おななし。二
こんばんは。
週の始まりを知らせるiPhoneのアラームは、どんな曜日のアラームよりも大きく聞こえる朝。これが、自分にとって嫌な出来事ほど音が大きく聞こえてしまう現象のことですね。豊かなものを世に生み出し続けるのは人間なのに、人間の身体はさほど進化していない。不思議ですね。
そんな今日は、昔のメモのおはなしをしたいと思います。
第二弾です。
第一弾もよろしければ、覗いてみてください。
2020年11月6日の、おはなし。
いつも怒ったり怒鳴ったりしている人って、結局人を頼りにしているってことなのよ 最近自分自身の怒りの沸点が低くなったのは、あらゆる物事のベクトルを自分に向けているからな、気がする。
振り返れば自分の紡いだ言葉に驚くことが多々あります。つくづく、私って生意気だな〜と。
生意気なのは中学の頃からで、その当時から「幸せってなんだろう」とか、「生きるってなんだろう」とか、割と物事を冷めた目で俯瞰しているようなところがあって。
だからこうして語尾に、〜なのよ。がついてしまうわけで。
昔の自分が一瞬だけ憑依したかのようなメモですね。
怒りって、年を重ねるごとに薄れていくと思うんです。
喧嘩することがなくなっていくのと同じで。要は、ちゃんと人と向き合うことをしなくなるからだと思っていて。ちゃんと向き合いたい人を自ずと選別している、という表現も含んでいますが。
怒ったり怒鳴ったりする大体の人が、決め台詞かのように語尾に、〜のに。ってつく気がしています。
例えば、「 〇〇してやったのに 」とか、「 〇〇って言ったのに 」とか。
それって結局のところ、自分がやったことに対する見返りがなかった時に使ってしまう言葉であって、自分ではなく相手にベクトルを向けているからそういう言葉になってしまうと思うんです。
私も怒りをあらわにしていた頃は、自分ではなく、相手に対してベクトルを向けていたなと思います。自分で責任をとりたくないから、人に擦りつけて。「 かわいそうな生き方だね 」昔の自分にガツンと言ってやりたいです。
ここ最近、あらゆる物事、起きてしまった出来事、全て自分にベクトルを向けるようになってからは、前より生きやすくなったと思います。
気づけてよかった。
本当にそう思います。
時に、人間は怒りの感情が必要な時もあります。
その時は、一番の理解者である自分と対話して、冷静に。
そして、余力があれば怒りのエネルギーを別の形に変えていけたら。と、まだまだ私も出来ていないことが多いですが、一緒に頑張りましょう。
それでは、また。
05/10/2021 (mon.)
chiho.
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