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不安障害との付き合い方

はじめに
 私は全般性ではなく限局型の不安障害です。
不安障害と言っても人それぞれで、症状やそれが生じる場面も原因も違うと思います。私自身も、全く同じ不安障害を持つ方を見つけたことがないように、参考にはならないと思いますが、部分的にでも何かを得たり気持ちが共有できればと思います。ただ、自分のために不安障害の全てを書き記すため、読み手には不要な部分も端折ってません、そこはごめんなさい。

症状
 人前で何かをする場面で声や手足の震え、動悸、息が詰まる、頭が真っ白になるになるという身体症状と、それに対する予期不安。
"人前で"と言っても、そこでも限られる。自分の中で、これは大丈夫、これは駄目だというのはなんとなく分かります。なんらかの線引きがある。やってみなきゃ分からない時もある。それは対象にもよるし、内容にもよるので、本当に分からない。絶対に無理だ、というのが一つはっきりとしていて、それがスピーチです。(転職編で詳しく書きます)

時系列 簡略
 高校生で発症 →辛い辛い、これはなに?
 看護学生   →向き合い方少しわかってきた
 看護師    →業務内容的に症状が皆無
 事務職転職  →入社後に知る「社風:人前で話せるようになれ」に適応出来ず、不安障害が再発、2wで退職)


きっかけ
 なぜ不安障害になったのか、明確なきっかけがあります。高校1年生の冬、出席番号で音読を指名されました。通常 長くて段落、所要時間1分以下の分量を読むかと思います。気分屋の少し変わった先生でした、読んでと言われたのは見開き1ページの膨大な量の音読でした。科目が化学で、読み方もよくわからない化学式が沢山あり、すごく言葉に詰まったことを覚えてます。後半につれ、シーンとしている教室で自分の声だけが響き渡っていることや上手く読めない自分への恥ずかしさから、次第に声が震えました。動悸も出始め、手も震え、息が詰まる感覚になりながら、泣きそうになりながら読みました。
これをきっかけに、どんなに短い音読も声も手足も震えるようになり、人前に出て話すこと全般が駄目になりました。そして、予期不安が強く、学生生活の軸が不安障害でした。明日はどの科目で当てられるかもしれない、また恥をかかなきゃいけない、と毎日毎日考えてました。


高校編
 音読する科目が限られていたこと、発表する機会は少なかったので学校にはほぼ行けていました。しかし、出席番号で絶対に当たると分かっていた日は怖くて行けない日もありましたし、行けてもその科目だけ保健室に行って、回避行動をとっていたこともあります。素の自分を100%出せず、苦しいなぁと思っていました。ただ、回避ばかりではなく症状がどうしたらマシになるかについても同時にぐるぐる考えてました。事前に、発表の場面があると分かっていたら、カンペを作ってひたすら練習してました。そうするとそれが安心材料となって、不安障害の症状がほんの少し軽減されることに気が付きました。ほんの少しです。高校卒業し、看護学校へ進学しました。入試の面接も上記のようにどれだけ自分を安心させられるか、にかかってました。

看護学生編
 ありがたいことにほぼ座学でした。たまに音読、発表会、ありました。その時も症状出ましたが、耐えられました。学年が上がると、看護技術を練習します。例えば、血圧測定や採血の手順の演習です。患者役にクラスメイト、シーンとしている中で自分の立ち回りを教員から合否の評価を受けます。イメトレや実際に手順を沢山練習して臨みますが、手とか全然震えてました。それでもなんとかやれてましたね。座学や演習を終えた最終学年は、臨地実習として病院に行きます。これは不安障害よりもメンタルが死にました。指導者に詰められることのが恐怖でした。朝礼で学生代表で病棟で挨拶したり、朝イチで指導者に1:1で行動計画を発表することがありました。震えてたかもしれないですが、他の学生も皆恐怖に怯えてましたし、震えても当たり前だこんな場面!と許容出来ていたので問題なかったです。実習中に不安障害として悩んだことは、カンファレンス(意見交換)ですかね。ただ、テーマが決まっているので予め自分の意見を用意することと、全員が話に詰まったときの沈黙破りの問題提起を考えておけば、傍観者にならず済みました。そして学生最後に、事例検討と卒論発表の2つがありました。震えは覚悟で、原稿をひたすら練習し、これも回避せずに出来ました。

就職
 病棟勤務を選びました。同期にも恵まれ、先輩も嫌な感じの人はほぼ居ませんでした。1:1での患者さんとのコミュニケーショ、先輩や後輩とのやりとりの中で不安障害を悩むことはなかったです。ただ、死と直面する場面や生死に関与する責任からは休日も100%心身が休まるわけではなく、思い切って一度転職をしてみようと思いました。

転職
 面接は、入試や就職同様に入念に準備をして挑みました。無事にIT事務へ就職が決まり、入社しました。事務を選んだのは、やはり人前に出る職柄は不安障害があるので避けようと思ったからです。長く続けたいと思っていたので上場企業を選びましたが、それが裏目に出ました。人材育成にかなり力を入れており、人前で話す機会を全社員に、ありとあらゆる場面で設けておりました。例えば、朝礼での3分間スピーチが毎日・ランダムで行われていました。また、全体会議が1回/月に開催され、その際も各拠点の支社でランダムスピーチがあったり、事前にテーマを与えられて話す社員が何人もいたり。また、事務ですが営業報告の会議等では発言権や司会進行があったり。事前準備が出来るものは何とかやるしかないなと思ってました。しかしスピーチは、毎朝ランダム指名制なのは非常に厳しいなと思いました。症状が出てしまうだけでなく予期不安に耐えられるかなって。入社日の説明でスピーチの存在を知り、絶望しました。入社月は指名されないだろうと思っていましたが、やはり予期不安が強く、事前に話す内容を作り暗記してました。すると入社1週目で指名され、社員80人以上の前でマイクを通しスピーチしましたが、声も手も足も震え、動悸はすごいし内容は飛ぶしで悲惨でした。私は即興で求められることや人前で話す事の目的が自分に落とし込めないもの、人からの評価にプレッシャーを感じるものが特に駄目なのですが、このスピーチは私の不安障害のトリガーの全集中といったようなものでした。もんのすごいトラウマで、その日は業務は頭に入らない、帰宅して大泣きし最短で行ける心療内科を予約しました。私の目的は、業務内容の環境調整を相談するための診断書発行と薬物治療でした。しかし最短予約ばかりを考えて選んだ院は最先端医療と謳う自費診療のみでした。先生から、ここでは診断がつけられないし貴方が求めてる治療が提供できないと言われてしまって。下調べしなかった私にしか非がないのに、カウンセリングはものすごく丁寧に時間を取っていただいて、無理強いして自費治療を勧めるわけではなく。なんなら、「保険診療の病院に行きなさい、適切な治療があるはずだから」とまで言われました。治療方針の勘違い含め、時間を取らせてしまったことを謝ったら、「そういうの言わなくて良いんです、そういうこと考えなくて良いんです」と言われて、自分の情けなさとこの先の不安と先生の気遣いが一気にきて、しばらく涙止まらなかったです。そして入社2週目、出勤できるのは「これだけの社員がいて、先週当たったからばしばらくスピーチ当たらないだろう」という気持ちがあるからです。それでもまた次回に怯えているので、なんとしてでも心療内科で診断を貰わねばと焦っていました。と同時に日々の業務で、上記に書いた"事務なのに表仕事!?"という業務が自分にもあることを知って絶望を増していきます。求人票には[事務作業、電話応対、会議の資料作り]とかで、これなら出来ると思って志望したのに、会議に参加して司会やら発言権があるなんて明らか相違だと正直思ってました。2週間目でようやく保険診療のクリニックへ行き、診断書が出ました。初めは環境調整してでも続けたいと思ってましたが、この時はすでに社風が合わない・業務の皺寄せが申し訳ない・続けたとしても不安障害が軸にある・素の自分が出せない等から退職しようと決めてました。というか試用期間で入って2週間の信用のない私は会社側から切られると思ってました。週明けで上司に面談アポ取りました。そしたら上に掛け合っていただけて、業務改善できる事・続けられるのであれば続けてほしいけど業務調整が心身に負担になるようなら困るから最終的な判断は任せるよという有難いお言葉をいただきました。最終的に、上司含め所属部署の皆さん良い方であるがゆえに迷惑をかけ続けるのもしんどいなと、自分はここの社員として不適合なのは変わらんなと。退職を選びました。正直、逃げな部分もあります。本当に真剣に悩んで苦しいものなのに、上司に打ち明けたことも自分のエゴの押し付けのようで気持ちが悪かったです。でも、職種が違えば症状も気にならないのに、わざわざ居続けるのは病気との距離が近すぎる。転職を目標に、病気から離れる選択を取りました。

現在
実は、退職して2日目です。無職です。看護師に復帰しようと思っています。どうなるかわからないし、すごく不安だけど頑張りたい気持ちは強いです。転職してまた症状なんて気にならない生活が送れることが目標です。以上が現在までの不安障害との付き合いです。

まとめ
 わたしは、治療に対する望みがすごく薄いです。薬飲んでも効かないです。正直、諦めてます。だから、自分の症状との上手な付き合い方を見つけています。書いたように、私には絶対に克服できない部分と自分なりの向き合い方でマシになる部分があります。向き合っても克服できないことに対しては避けるを選択する。 工夫すれば出来ることだけを頑張る。選択肢は沢山あることと、相談してどうにかなることもあるから場合によってはhelpを出すこと。これがわたしの不安障害との向き合い方です。



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