見出し画像

一番可愛い彼女

あるとき突然、彼女が言った。
「ね、はいこれ。」
彼女は僕に手鏡を手渡す。
意味の分からない僕は、
「え?なに?」
と聞き返した。
「いいから。この鏡で自分の顔見て。」
「なんでまた急に?」
「とにかく見てってば。早く。」
僕は訳の分からないまま、渡された手鏡で自分の顔を見た。
そこにはいつもの見慣れた、冴えない自分の顔が映るだけだ。
「見たけど?」
と僕が言うと、彼女はつまらなそうに
「うーん、いまいちだったなあ。」
と、僕の手から鏡を受け取る。
「何がいまいちだって?」
彼女は僕の質問には答えずに、僕の顔をまじまじと見ながら言った。
「ねえ、自分の顔って好き?」
「自分の顔?」
「そう、自分の顔。」
そう言われても何だかピンと来ない僕は、
「考えたこともない。どうだろうなあ、冴えない顔だと思うけど。」
と曖昧な返事をした。
彼女は納得出来ない、という表情をする。
「はっきりしないなあ、もう。自分の顔よ?」
「だから、なんで突然そんなこと?」
そう聞くと、彼女は真剣な表情で、
「鏡を見るときの顔ってね、その人の一番良い顔なんだって。」
と説明した。
「そうなの?」
「うん、昨日友達に聞いたんだけどね、自分の顔を見るときは無意識にベストな表情を作るんだって。女の子だったらね、一番可愛く見える顔をするし。」
「ふうん、そんなもんかな。」
「一番可愛い顔をしようとするとね。」
彼女は手鏡で自分の顔を映した。
いつもより上目使いで、少し目を大きめに開く。
微妙に角度を変えると、ほんの少し微笑んだ。
そのままで彼女は僕に言う。
「これが私のベストな表情。」
確かに、その表情はいつもの彼女の表情とは違って、可愛らしい顔に見えた。
でも、なんだか見慣れないせいか別人の表情を見ているような気がする。
彼女は鏡をテーブルに置くと、いつもの表情で僕を見つめた。
「ね?分かった?」
「なんとなく。でも僕の表情は変わらなかった訳?」
「全然。もっとカッコいい表情するかと思ったのになあ。」
「もとがカッコよくないんだから無理だ。」
「それを言ったら元も子もないでしょ。」
彼女はテーブルの上に置いてある鏡を眺めながら、
「あのベストな表情を、鏡なしで出来ればいいんだけどなあ。」
と難しい顔をする。
「ほら、今の顔。」
彼女はきょとんとして、
「は?何が?」
と聞き返した。
「今みたいな表情のほうが、自然で可愛い。」
彼女はしばらくしてから恥ずかしそうに、
「何言うのかと思ったら。変なこと言わないでよ。」
と、ほんの少し赤くなった頬を触りながら視線をそらす。
「本当だよ。」
僕は彼女の横顔を眺めて言った。
彼女は僕のほうに向き直すと、僕の顔を見た。
「あなたも冴えないけど、そのままで充分。」
「冴えなくて悪いね。」
「別に。私が良ければいいでしょ?」
そう言って、彼女はにっこりと笑う。
その笑顔はとても可愛くて、僕は彼女のことが本当に愛しく思えた。
「やっぱり、いつもどおりが一番可愛いよ。」
そして僕は、また今までよりももっと、彼女のことが好きになる。
よくある恋人同士の、甘い時間だった。



<END>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?