見出し画像

卵パックと卵

日本人はよく血液型を話に出すが、統計的なもので、あってたり、外れてたり、少し当てはまったり。また、飽きやすかったり、心変わりは個性だろうか。程度問題はあれど、誰しも身に覚えがあるだろう。

ダイバージェント(シリーズ3部作)。
人を勇敢・博識・高潔・平和・無欲にわけ統治し、塀に囲まれたシカゴを舞台にした未来の話。シカゴの住民は塀の外に何があるのか、何故このように統治されるようになったのか、知らない。

まぁ、進撃の巨人やメイズ・ランナーから随分と刺激を受けた話っぽい。

同映画内では5種類に分け、そこからはみ出した、落伍した者は『無所属』、程度に違いはあるものの、全てに当てはまり属さない者を『ダイバージェント』と呼び、ダイバージェントはシステムを崩壊させる存在としてマークされるようになる。そんな話。

しかしながら、これらの区分は本来の人間が内包するもので、比重の大小はあれど、それらを判断材料に総合して自分の意思で、本来は行動を決定する。職業の向き不向きは系統で分けられそうだけど。

少し映画そのものの話をすると、最初から3部作る予定で撮られただろう展開なのは劇場と配信前提で企画された証拠。ドラマシリーズだったら通常より短い6話分である。

優良なコンテンツに触れやすい時代になって、配信オリジナルの映画にも賞が与えられる時代になった。しかし、ネトフリの契約者が20万人減少したとのニュース。しかも200万人増の予想に反して。

年々、消費されるのが非常に早い。コンテンツも、プラットフォームも。人の本質は、おそらく今も昔もほぼ変わらないのに。

人間の本性を譲り合えているうちは問題はないだろう。しかし、言論・表現の自由は奪われてはいないだろうか。分断や齟齬を生んではいないだろうか。

なかなかのビッグプロジェクトである。果たして、人間の本質矯正が完了するまでに人々が今の社会に飽きてしまわないかどうか、私はそこを眺めておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?