目的を持って走ることの意味を問う。
仕事にしたって、勉強にしたって、運動にしたって、なんでもそうだと思うのですが、ただなんとなくやっていると、うまくいったとしても達成感が少ない。しんどい時にも踏ん張りが効かないだろう。
だからなんとなくやるのではなく、目的や意味を自問自答してみることをおすすめしたい。ある意味でこれは内省のひとつじゃないだろうか。
陸上競技場にトリップしてみてください
分かりやすい例をあげると、陸上競技場の周回トラックを思い浮かべてほしい。このトラックをぐるぐる「ただひたすら走る」ことを課された時、最初はなんとかなるかもしれないが、走っているうちに苦痛でしかなくなってくるのではないか。
僕ならそんな状況は無理。
何かしら「目的」だとか「目標」が明確だから人は頑張ろうと気張れるものじゃないか。
・トラック10周を目指そう
・20kmを走ろう
・1周のタイムの自己ベスト更新を目指そう
・何周走れるか限界を目指してみよう
・体力をつけるために走ろう
・ダイエットをするために走ろう
・マラソンの練習のために走ろう
・かっこいいところを見せるために走ろう
何かしら目的または直近の目標が存在するかどうかで、周回トラックをぐるぐる走る「意味」が生まれるもの。
いや、走ることそのものに意味を見出す人もいるとは思う。
繰り返し繰り返し走ることを修業と位置付けて、無の境地に達する...というのもなくはないけど、それはそれで無の境地に到達するために、あえて何も考えず走り続けるという目的を既に持っていたりするのである。
そう考えると、本当に無目的に走ることは結果として時間が経てばたつほど苦痛と虚無感や徒労感を感じるのではないだろうか。
働くことにも、学ぶことにも、心身を鍛えることにも、目的・目標を設定することは、大切な意味付けをする行為なのだと思う。
そして自ら意味付けをできる人は強いし、自律をしている可能性が高い。
指導者やマネジメント者やリーダーは、人に意味を考えるきっかけを提要しながら、目的地に導く存在なのかもしれない。
共に目的地を目指す仲間の存在の有無
もう一つ、大切なことがある。
それは仲間の存在(とか書くと、なんかこっぱずかしいが)だ。
仲間にも2種類ある。
1つ目は競争相手となるライバルの存在。
2つ目はバトンやタスキをつなぐチームメイトの存在。
同じ目的を目指すライバルの存在は、その人に「勝ちたい」「あの人より速く走りたい」「あの人より遠くまで走りたい」という競争的モチベーションが生まれるきっかけとなる。
同じ目的を目指すチームメイトの存在は、「共にゴールに到達したい」「しっかりタスキをつなぎたい」「あいつが頑張っているなら僕もがんばらないと」「一緒に勝利の美酒を味わいたい」というように励まし合い協力し合いながらゴールを目指す協力的モチベーションが生まれるきっかけとなる。
ひとりでグルグルと周回コースを走るのと、仲間ががんばって走る様子を見てがんばれ!と応援しながら自分の出番もがんばる様子と。どちらがより熱中するだろうか。没頭するだろうか。想像すると答えは明確だと思う。
もっと言えば、その仲間やライバルががんばっている途中経過のプロセスが見えるかどうかというのもものすごく大事だ。ここにさらなるモチベーションのエンジンのギアチェンジがある。
まとめ
目的を持つこと。
目標を具体的に定めること。
が重要であることは間違いありません。
そんなの持てないと言わず、自分自身と向き合ってじっくり考えてみるのもきっと良い時間になるのではないか。
そしてひとりで目指さず、誰かと一緒に目的地を目指すこと。
できれば目的地に向かうプロセスを可視化して共有すること。
これらがイキイキと働く・学ぶヒントになると嬉しい。
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