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姿を消す売店に一抹の寂しさを覚えた話

私の住む地域の最寄り駅に長らく存在したホームの売店がついに姿を消した。以前は上り線も下り線も存在した売店だったが、早々に上り線の売店が消えた。あとにできたのは軽食の自販機だ。

それでも下り線の売店はずーっと存在していた。いつも同じおばちゃん(いや、ご年齢的にはおばあちゃん世代)が切り盛りをしていて、帰宅する通勤電車から下車して飛び込んでくる"いつものおばちゃん"のいる売店に、なぜかホッとする安心感すら覚えていたのだ。

いつもと同じ風景だからこその「ホーム」に帰ってきた時の、あのフッと緊張感から解き放たれるあの感覚だ。

ある時、とても若い学生さん風のアルバイトさんが、いつものおばちゃんの代わりに店番に立つようになった。とってもかわいらしい雰囲気の、もしかして高校生くらいの娘さんだったかもしれない。それはそれで悪くないと思ったし、シフトによってはいつものおばちゃんがお店にいたのだ。

ところが3か月くらいたった頃だろうか。若者アルバイトの姿が見えなくなった。そしていつものおばちゃんが毎日お店に立つようになった。そう、いつもの風景が戻ってきた。

そしてまたいつもの日常が過ぎていく。

しかしその日はやってきた。

安心しきっていたのかもしれない。お店の売上が悪いわけではきっとない。陳列されていた商品は私が帰宅する頃にはけっこう売れて少なくなっていることもあった。

シャッターが開かない日々。

おばちゃん大丈夫かな?

数えるほどしか交わしたことがない、店頭でのやりとりだったが、それでもやっぱりいつもの風景に変化が起こると心配になる。

そしてとうとう決定的なことが起こった。

お店の箱自体が撤去されて、工事用のフェンスで囲まれてしまったのだ。

これはショックだった。
なぜか自分にできることは無かったか、なんて無駄に考えてしまうくらいに。

でも、それは自分にコントロールしきれないことなのだ。だから仕方がない。

仕方がないのだけれど、きっとこれは間違いなく「人手不足」だろう。
小さなチェーン店のお店に過ぎないけれど、他に働き手が見つからなかったその末路なのだ。若者が定着しなかった。仕事の面白味を感じられなかった。いや、きっとおばちゃんは丁寧に仕事を教えて任せていたのだろう。それでも、やはり働き続けたいと思える場所ではなかったのだろう。

年齢的にもおばちゃんはきっと引退されたのだと思う。後継ぎが決まらないままに。

運営が不可能となったお店は閉店せざるをえない。

人手不足倒産の話は聞くけれど、こんな風に街のお店も人手不足閉店の話はよく聞く話だ。

売店がどんどん自動販売機に変わっていく。効率をいえば、これの方が良いんだろう。でもちょっとした小さな人のぬくもりを感じられる機会がまたひとつ減ってしまった気がして、一抹の寂しさを覚えたことは間違いない。

ああ、売店。
おばちゃんも元気でね。

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