見出し画像

読まれない文章の価値

おはようございます。

今日は書く事について考えてみたいと思います。

私の結論は

文章は書いた時点で価値があると思ってます。

考えてみると書いた時点でのメリットは沢山ありますので思いあたる事を箇条書きしてみます。

・知識、感情、思考の整理
・記憶の定着
・理論、思想、考え方の穴が見える
・一人称の思考を二人称、三人称に引き下げられる

等等の1次的メリットをいくつかあげてみましたが習慣的に繰り返す事で、他者に対しての振舞いや言動の変化、選択の変化などにより副次的なメリットにも発展すると考えます。

では書いた時点でのデメリットはなんでしょう?

私は時間と労力以外に思いつきません。

しかしこの時間と労力がデメリットであるという考え方の根底にはお金にならない事には価値がないという価値観があると思っています。

確かにお金は必要ですが、それ以外価値がないとするならば娯楽や余暇、恋人や家族、言ってしまえば人生にも価値がなくなってしまうという本末転倒な価値観に行き着いてしまう気がします。

そう考えると時間と労力もデメリットとは言えない気がします。

そして書く事のメリットは直接はお金にはならないかもしれませんが副次的メリットにより間接的にお金や幸福感に結びついてくると考えています。

そう考えると文章を書いた時点で大きな価値が産まれついる気づけます。

では文章を書いた後に誰かに読まれて初めて価値が産まれるという考え方でアウトプットした時のメリット、デメリットを見てみましょう。

まず思いあたるメリットを箇条書きしてみます。

・読者に共感や良い評価をもらえて嬉しい
・読者に何かを与えられて嬉しい
・多くの読者がつく事でビジネス的な発展の可能性がある

有名な作家さんやクリエイターさんであればもっと沢山メリットを思いつくかもしれませんが私はこのくらいしか思いつきません。

三つ目は沢山の努力の上に築かれる副次的メリットで、一部の人が得られる狭き門ででしょう。

ここで注目してほしいのは上二つは単に結果嬉しいという感情的メリットな点です。

ではデメリットはどうでしょうか?箇条書きしてみます。

・中々読んでもらえない
・読者に不快感を与えたり悪い評価を受ける
・思った評価が得られず自己肯定感が下がる
・評価の恐怖や完璧を求め過ぎて中々書けない
・評価ばかり気になり脳がマルチタスク状態になったりパフォーマンスが下がったりする
・価値観の違いが明らかになり離れていく人もいる

等等あると思いますがどうでしょうか?

書いた後に読まれる事に価値を置き外に出した途端に沢山のデメリットに遭遇し、見返りはほぼ短時間で消える感情的メリットです。

これはSNSで精神を侵される人が陥いる負の側面と同じ構造です。

他者評価による感情のアップダウンに耐えきれず精神が疲弊します。

今回私が伝えたかった事は

まず書く事に大きな価値がある。

その次がとても大切で

アウトプットの意味を見つける事です。

書く事の動機付けなのか?
ビジネス転用、収益化が目的なのか?

書く事の動機付けならば読まれる事に価値を置くのは危険だと考えます。

勿論読まれる事を前提に文章を書くという事は大切ですし受けた評価に喜んだり、辛い評価を教材として利用できるのであればとても有効だと思います。

しかしあくまでも書く事に価値を置いておかなければ忽ち感情の悪魔に乗っ取られてしまうでしょう。

ビジネス転用、収益化が目的であれば当然読まれる事に価値を置き試行錯誤が必要でしょう。

このように手軽に世界に自分の内面を発信できる時代ではどこに価値を置くか?という事が非常に重要と感じています。

 

人類は道具を使う生き物です。

日々新たな道具が開発され日々便利になる世界。

中でも言葉はとても強力で古くから使われている道具です。

しかし使い方を間違えると危険な物に変わるのも道具です。

残念な事に言葉の説明書などは存在せず、自分で手探りするしかありません。

今回自分が文章を書くという事に手探りで感じた事をnoteの記事にしてみました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?