勤続20年迎えられた理由を真面目に考えてみた②
サクッと書こうと思ったら意外と長くなったので続きから。
20年間色々あったけど、
充実してました!
とは言えないのが本音である。
前回はこちら↓↓↓
最悪な始まり。
3年目春
新しい勤務先は、アクセスがしやすい。
母と下見に行って段階では結構わくわくが強かった。
そして当日。
私が異動してきたということは
別の誰かが出ることになる。
引継があったのか、朝、偶然にもその方と一瞬だけ話す機会があった。
その方は妙に晴れ晴れして、
私の顔を見て、なんとも言えない表情をしていた。
「頑張って下さい」
と一言だけ残して。
その意味を知るのは少し先の話。
朝礼は簡単な自己紹介から始まった。
直属の上司ともう一人の上司は、比較的友好的な雰囲気だった。
そして偶然なのか、同期もいた。
同期と言っても歳も離れていて、話したことは全くない。
それでも親近感はあり、ホッとしたのは覚えている。
なんとかやっていけそう?
と思った矢先だが、次の瞬間、
あ、なんか……合わないな。
なんの根拠もないけど、わかってしまった。
当時はまだ20年くらいしか生きてなかったけど、
明らかに最初から合わない人が過去にいた。
近所のお姉さん。私をひたすらに小馬鹿にしていた。
その人と同じ何かを感じてしまった。
私より一回り上の女性。
いわゆるお局さんだ。
気のせいだとは思いたかった。
だが、案の定、私に対しての扱いが塩だった。
初日から。
同期に対する扱いとはまるで違う。
気に入った相手にはめちゃくちゃ優しい。
笑顔だって見せる。
が、私に対しては常に存在を否定するような扱い。全くの無関心。挨拶や業務上以外の雑談した記憶もない。
帰りも同じ方向だったが、一度も一緒に帰ることもなかった(今思えば、これは良かったのかも思う)
まぁ、そのうち慣れるかなと軽く考えていた。
3年目夏
同期が怪我でしばらく休職することになった。
そこからは職場の空気が少し変わった。
そのお局さんはちょっとのミスでも書類投げつけるように突き返し、相当威圧的だった。
私は恐怖に萎縮し動揺し、また更にミスを連発し、扱いが更に酷くなる。負の連鎖だった。
視界に入らないように、視界に入れないように。
常にそればかり意識していた。
その方が休みの日は本当に穏やかに過ごせた。
そんな日々だったが、幸いなことにその様子を見ていた周りの人達や上司が声かけてくれたり、さりげなくフォローしてくれた。
出来た上司で本当にありがたい(どうやら私が異動した後出世したようだ)
そのお局さん以外は本当に優しい方達だったのだ。
後から知ったのだが、私の前任の方もそのお局さんとうまくいかなかったらしい。
だから異動出来て晴れ晴れしていたのだ。
つまりは私だけじゃなくて、少しだけホッとした。
ちょっと情け無い話をするが、私自身職歴3年目にも関わらず業務知識は乏しかった。
ほとんどまともに業務は教えてもらえず、自分なりやって、失敗して覚えたと言ってもいい。
一応マニュアルはあったが、さっぱりわからない内容だった。
何がわからないかもわからない状態。ひと昔?の職人流、見て覚えろ形式だったのだろう。今では考えられない。
そんな話をして、申し訳ないと思いつつ、業務を一から丁寧に教えてもらうことにした。
私の本当のはじまりはここからだったのかもしれない。
そこからは少し自信も付き、成果も出せるようになっていた。
辛いことも結構あったが、それでもたくさん支えがあって頑張れた。
またその頃、趣味活動も始めた。
日々励みになり、かなりアクティブになった。
一番の思い出はあの有名な(私の中で)帝国ホテルで食事が出来たこと(呼ばれたこと!)
これは本当に運に恵まれたのだが、嬉しかった。
そんなことでもうすぐ一年経とうとした頃、
ちょっとした選択を迫られることになる。
続
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