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倍速で聴く時、人は情報を聴いている

・この間、Audibleのナレーターも倍速に対応して欲しいというポストを見た。

・それに対する反論を中心に交わされる議論を見ながら、私は倍速視聴について考えた。私も倍速視聴はたまにしている。だから、行為自体は悪くないと思う。議論の中心というか、何が反感を生んでいるのだろうか。恐らく、娯楽と倍速視聴で目的が異なるからだろう。自分の倍速視聴経験からその答えを導き出そうと思う。

・まず、Audibleは流れ作業で本を読むことに適したサービスだ。今や音楽のサブスクリプションサービスが耳を独占している時代。読書も耳の時間の争奪戦に参入する時代が来たのだろう。ナレーターが朗読してくれるのは、読む手間を省く意味もあるが、作品の世界観を表現する意味あいが大きい。目で文章を追うことができない分、ナレーターの見事な朗読は想像する手間を助けてくれる。何かをしながら、様々な世界を堪能できる。これが娯楽としての楽しみ方だろう。
 一応、Audibleにも倍速視聴はできる。ただ、ナレーターの声はもちろん対応していない。ただ速くなる。世界観も何もあったものではなくなってしまう。

・先に書いたように、私も倍速視聴はする。Youtubeとかで『良い睡眠に効く習慣○選』みたいな情報系の動画を倍速で見る。その目的は娯楽ではない。私は、情報が欲しいだけなのだ。動画の演出や質はともかく、私は情報だけを得たい。だから、倍速視聴を選択するのだ。これって、先述の話にも言えるのではないだろうか。

・倍速視聴をしている人は「情報」を得たいのだと思う。アニメや映画、ドラマに小説、対象は何でもいい。物語の先にある情報だけを得たいのだと思う。
「何がどうなってどういう結果になるのか」
それを求めているのだ。人との会話、必要とされる教養、友人が話しているドラマの話、何でもいい。娯楽は無尽蔵に増え、コミュニケーションツールとして扱うには範囲が広すぎる。だから、倍速で情報を得る。そのシーズンのドラマの話なら、展開さえ分かっていれば、すぐに次の話題になる。コンテンツの増加や流行も、倍速になり始めているのかもしれない。

・インスタやYouTubeでリール動画やShortsが流行っているのもそういう理由だと思う。大きいハンバーガーは食べられないけど、ポテトならスイスイ口に運べてしまう。かく言う私も、ついつい大自然の中料理を作る動画とか見てしまう。

・話を戻そう。倍速視聴は間違っていない。情報を早く得たい、という考えは良いと思う。ただ、それを楽しみたいなら通常速度で見た方がいい。言い換えるなら、「これは絶対通常速度で楽しむ」というものを決めておいた方がいい気がする。
 どの作品も単なる情報として咀嚼すると、大して変わりの無いものになる気がする。通常速度で楽しむ利点はいろいろあるけれど、私が推すのは「考える時間がある」ということだ。この人は何を考えているんだろう、何が真実なんだろう、ここがもしかして伏線?……なんて。自分の人生の時間をきっちりと取って、考える。くだらないことであれ、社会問題であれ、それが出来るのが娯楽の良いところだと思う。

・これから倍速需要は増えていくと思う。何が起きるかを要約して、1ページ目に載せたマンガとかが流行るかもしれない。本来1時間ある映画を30分とかに短縮した総集編みたいな映画もあるかもしれない。エンタメも倍速への対応が迫られることだと思う。
 私もこれから社会に出るものとして、人に時間を取ってもらえる様な、人の時間をよりよいものに出来るようなものづくりをしたいと思う。


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