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トニー・モンタナ『スカーフェイス』より

「反逆者」

「汚いやつ以外には、汚い手は使わない」

「The Pride」


さあ、この男だ。
1983年に、『暗黒街の顔役』のリメイク版として公開されて以降、未だ若者を奮い立たせてやまない傑作マフィア映画の主人公。

その荒々しい生き様が、アフリカ系アメリカ人に主体を持つヒップホップコミュニティにおいて、神格化された存在にもなったらしい。

正直悪役では無いよな、主人公だし。しかも、今回の記事のテーマのアンチみたいな男。恐れを知らない。ただ、満たされることのない動機だけがある様な男。

彼を初めて見た時の印象は、こんなにエプロンの似合わない男がいるんだなって所だ。でも、何回も見るうちに、書きたいこともできてきた。ネタバレするし、観た事前提です。

てなわけで、まずは一応あらすじを。

成功を掴む為、社会主義国キューバからアメリカへと到着したトニーは、難民収容所に入所する。そこで得た縁によってマフィアの世界へと足を踏み入れる。しかし、やがて関係の崩れだしたボスのフランクとの諍いを制し組織と情婦を手にしたトニーは、麻薬王ソーサと組んで成功を収め、アメリカンドリームを掴む。しかし経済的成功と裏腹に信頼関係を失い、警察の囮捜査にも捕らえられる。自身の窮地を救ってもらう為ソーサ達の要求を受け入れるが、その選択によって血みどろの結末へと進んでいく。

あまり、作品の要約や説明は必要ないな。

最初に断っておくと、トニーは、サイコパスでもなければ、快楽殺人者でもない。本体がハイド氏で、心に小さなジキル博士が住んでいる。

彼は気持ちに正直で、上の立場の人間にも気に入らないことがあれば毅然と、いや猛然と反抗する。そして女子供に手は出さない。家族を大切にする。加えて馬鹿みたいに開いた胸元。
こう書くと、どちらかと言うと悪ではなく不良に近い。利益より、プライドが大事。

面白いところは、この男には、特筆するべき能力、性質が、「筋金入りのタマ」以外に何も無いという点だ。折れない心なんて、誰でも持ちうる。でも、持ちうるってだけで、実際は誰も持てない。

「お前は心配しすぎるんだよビクつくな。」

現状、皿洗いでしかない状態で、仕事を斡旋しにきたマフィアと張り合い、心配するマニーを他所にこう言放つ。

徹底して構造の中で萎縮しない。というか、構造に居着くことができない。友人のマニーも、ボスであるフランクも、構造を超越しようとするトニーを咎め、恐れる。身分を弁えろってね。

歯の矯正装置は、変形しない。変形しないからこそ、乱雑な歯を美しい歯列へと導く。秩序を撹乱し、均衡を傾ける、矯正装置を破壊しうる男。周りの人間は、構造の崩壊を恐れる。ボスと下っ端という構造を、兄と妹という構造を、貧困移民と資本主義社会と言う構造を砕こうとする。構造が押し付けてくるブレーキが、かえって男のゼンマイを巻き上げる。自分を手懐けようとする構造を拒絶し続ける。

実際、トニーが構造を無視したせいで、全てが崩壊していく。周りから見れば、蝗の様に、彼の去った跡には不毛の大地が横たわっている。

でも確かに、アメリカ社会の中で抑圧されて生きる若者にとって、成り上がる手段は、トニーモンタナの示したものでしかあり得ないのかもしれない。社会の押し付けてくる構造の強固さは、正攻法の一切を跳ね除ける。忠誠を誓わなければ構造にはいられないが、忠誠を誓えば、同時に構造に固定されてしまう。あの無頼っぷりなら、トニーモンタナは、ああやって極端に生きなければ、多分酷い人生を歩んだろう。

「俺は嘘をつかない。真実だけを話す。」「おれほどの悪党にはもう会えないぞ。」

遂に、全てを失って大勢の前で独り言を言う。己を偽って、居場所を見つけた人々にそう言う。

トニーが自称どおりの悪なのかどうかは、重要な点だ。まあ、法律や一般道徳の観点からしても、悪人だ。何人も人を殺してるしね。ただその経緯としては、貧窮を振り切る為に行なった悪を、結局育ててしまったと言う感じだな。裏社会とはよく言ったもので、これもまた構造だ。悪の構造。しでかしたことを精算するには、血を代償にするしか無い。そこでまた、悪の世界に深く入り込む。悪人を倒すごとに、対峙する悪人のレベルが、上がっていく。

「悪」を、より現実的に定義するとしたら、自分の近くには置きたくない存在だということができる。そういう意味では、きっちりと「悪」なんだけど、しっくりこない。「悪」と、滑りよく呼べない。

悪ではないとは言えない。ただ、悪になりきれなかったからこそ、死んでしまったのかもしれないとも思う。上り詰めた先でも、上る意志を捨てられなかった。捨てるべき矜持を、捨てられなかった。そこが、掃いて捨てるほどいるチンピラとは違う。満足を知らない。充足を知らない。

既に自由を手にしているのに、脱獄を企んでいるみたいだ。自由という鍵を使って、自由から脱出しようとしている。一体、何が欲しいんだ。

「何が大物だクソったれ。おれに女子供は殺せねぇ。俺をなんだと思ってやがる。」

標的のジャーナリストの爆殺を狙っている場面で、子供が巻き込まれることを無視して暗殺を完遂しようとする男に激昂して言う。ここはとても重要な場面だ。トニーの求めていたものが、分かった場面だ。

構造において、僕たちは人格と性格を器用に使い分ける。でも彼は違う。誰に対しても同じだ。譲らない所は決して譲らない。同じであることが、むしろ問題になった。現代的社会構造への定着において、最も邪魔になるのは、プライドだよな。

トニーには、ロールプレイなんて出来ない。移民者、経済市民、息子、兄、部下、旦那、友人。どんなロール(役割)も、演じきれない。舞台を降りるしかない。アドリブしか持たない演者に、ハムレットの毒は効かない。

構造に約束づけられた、定められた運命の反故も、悪役の特徴なんだろうか。

どんな時でも、プライドを掲げ続けた。誰を前にしても。それだけが、自分を保つ方法だった。つまり、最も大事に抱えている秘宝を、常に最前線の敵の鼻っ面に、一番槍として突きつけていた男なんだ。

「おれはトニーモンタナだ。」

ソーサの派遣した部隊に身体中穴だらけにされても、トニーは叫ぶ。
この男には、死んでゆく時でさえ、反省も、虚飾も、主張も、無い。ただそこに居るだけだ。

そら、俺が居るぞ。そう言っていただけだ。映画という舞台からも、飛び出そうとして見せた。プライドの維持だけが、彼にとっては大問題だったんだろう。

恐れたものは、プライドの無い「羊の様」になることか。構造へ安住、居直り。求めたものは、プライドの証明。孤独も、チェーンソーも、死でさえも、それを奪えないということの証明。

弱点は、多分無い。弱点を作らないために、死んでいった男。掲げた剣の身代わりに、本体を投げ出した男だ。

2024年5月16日

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