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トコトコのピックアップ

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気になった、忘れたくないノートを集めています。
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#言葉

素直さと当事者意識

当事者意識と素直さに関係があるのでは、というご意見があった。確かにイエスマンは、極論するとアイヒマンのように、責任回避のために何も決めず無批判でいるようなイメージがある。一方素直な人間はそこになんらかの意図があるように見える。しかし意図があることと素直さはバランスするのか。 私なりの整理では、 「当事者意識=自分には結果に対し責任がある+自分には影響を与える力がある」 だ。まず、結果に対し責任を感じていないと当事者になる気を持たない。また、その結果に対し自分は影響を与え

哲学的であること、考えすぎていること

哲学的であるということと、考えすぎているということの境目はどこにあるのでしょうか。前者は深くなっていきますが、後者はこじれていきます。哲学的であれば何かを理解するために考えますが、考え過ぎていれば悩むために考えます。決めようとせず考え続けることに心地よさを覚えるかどうか。疑問に興奮する人間は哲学的です。 考えすぎている人は疑問が投げかけられた時に浮かない表情をします。疑問に対しおもしろいですねという答えは返しません。いや、でもと繰り返します。なぜならば考え過ぎている人は、本

性はいつ決定されるのか

「ブレンダと呼ばれた少年」という本があります。 ブルースと名付けられた小さな男の赤ちゃんは8ヶ月の頃性器の包皮手術に失敗し、性器に大きな損傷を負います。医師からはこれからの人生で十分に性器が役割を果たせないと告げられます。絶望する両親は偶然にも、当時の性科学の権威であるマネー博士と出会います。 マネー博士は、性別は社会の影響を大きく受けており、男の子が男の子らしくなるのも、女の子が女の子らしくなるのも「社会が子供をそのように扱うからだ」と主張していました。要するに性別の自

足りなさと大事なもの

足りなさとは何か。足りないと感じる前に、基準がある。このラインまでは必要だ。このラインまでは欲しい。ここまであれば完璧だというラインがあるからこそ、足りなさを感じることができる。何の基準もなければ足りるも足りないもない。足りなさの背景には無意識に作った基準がある。 自分にスマホがないのを足りなさと感じるのは、それを持っている人が周りにいるからだ。自分の背が低いと思うのは、周囲の人の平均値より低いからだ。無人島で生まれ育てば足りなさを認識できない。足りなさは社会との間に生まれ

バイアスと善悪

昨日は東京大学の未来社会協創推進本部のアドバイザリー会議だった。未来に向けとても楽しい議論が交わされたが、特に人工知能のバイアスについての議論が興味深かった。バイアスがない状態は作れるのかまた本当にあるのか。 考えてみると善悪がそもそもバイアスと言える。善悪論は誰にとってという前提がないと成立しない。極端なことを言えば、漫画寄生獣であるように、人間自体が地球に与えている悪影響を考えると、地球の立場から見れば人間が一定量いなくなることが善であるという捉え方もできる。 それは

言葉 2020年1月

失望する前に人は期待しています。人の言葉は信じられないと失望した人が期待していたことはなんなのでしょうか。例えば、私はいろんな人と会います。広島は原爆の影響大丈夫と聞く外国人方もいますが、その人に失望したりしません。むしろ彼らの国で行き渡っている情報の加減を知ることができて勉強になります。 メディアでなされた発言に失望する際に、期待しすぎていたのではないかとチェックする必要があります。いくら賢くても所詮みな人間ですから情報の編集に癖があります。明らかな嘘以外は、その人の視点

インサイダーとアウトサイダー

発言だけでは変わらないという意見は賛同しますが、まず発言にも種類があります。下にいくにつれリスクを負います。 1、匿名で自分と遠い世界について発言する 2、匿名で自分と近い世界について発言する 3、実名で自分と遠い世界について発言する 4、実名で自分と近い世界について発言する 実名で自分と近い世界について厳しく発言するということは、少なからず友人関係に影響を与え、お世話になった人に嫌われる可能性があり、ポストが失われたり将来が閉ざされたりします。このような発言をしている人を

スランプのしのぎ方

2015年03月27日 スポーツの世界ではスランプというものがあって、これがなかなかに苦しい。数カ月程度の短期のものもあれば、数年に及ぶ長期のもの、スランプなのかどうかもよくわからないままにパフォーマンスが低下した状態で引退する選手もいる。 特に苦しいのは一度は輝いた選手がスランプにハマるパターンだ。昔は簡単にできたことができなくなる。意識しなくてもできたことを意識してしまってこんがらがる。一生懸命にやっていても、世間はもっと頑張れという。 スランプ時にはなにをやってもう

我欲と社会課題

2015年02月24日 昔、された質問がある。 ”問題を解決したいのか。それとも、あなたが問題を解決したいのか。” 多くの人は少し考える。即答で答える人は少ない。あまり考えたことがない問いかけなのかもしれない。私自身もこういう問いかけを自分にしはじめたのはここ数年だ。 世の中には解決されるべき問題がたくさんある。貧困や教育、病など。それらにとりくむ素晴らしい人々が世の中にはいる。その問題解決に人が向かうときの動機に我欲が混じっていることもよくあると私は思っている。我欲と

なぜ挑戦と諦めないことの相性が悪いのか

挑戦とは何か。挑戦とは必ず成功することではなく、一定の確率でうまくいかないものを言う。結果の予測がつかないものが挑戦だ。だから今日家に帰ることを挑戦するとは言わない。挑戦した後の結果は常に不確かであり、やってみるまでどうなるかはわからない。 一方で諦めないことは、一度始めたことはうまくいかないからといって諦めないで最後までやり通すという意味で使われる。始めた以上は何があっても一定期間は続けるというものだ。 さて既にお気づきだと思うが、この二つを組み合わせると重要なのは、挑

防衛としての教養

人前で話すことが多くなると、教養は防衛のために必要だという考えを持つようになる。教養という言葉の捉え方は人によって幅があるけれども私は「時間軸空間軸を超えたバランス感覚の基礎となるもの」と捉えている。教養がなければ、何がどこに位置しているかがわからない。 サンディエゴで暮らしていると、周囲では養子縁組が盛んで、離婚も珍しくなかった。だから日本ではよく聞く子連れの家族に”お父さん似かな、お母さん似かな”ということは誰も言わなかった。 例えば歴史を知っていることで、2カ国間で