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フィクションを読者が信用することについてのメモ

 以下のようなシンプルな物語を考えてみる。

 登場人物は、AとB。
 Aは男性で、Bは女性。
 一 まず、AがBと出会う
 二 次に、Aが死ぬ
 三 最後にAがBと結婚する

 この物語を小説(あるいは映画でも漫画でもアニメでも演劇でもよいが)にしたとして、その読んだ人や見た人(以下、読者ということにする)はそこに矛盾があることにすぐに気が付く。
 どうしてBが死んでしまったはずのAと結婚できるのか、できるはずがないではないか、と。
 しかし、それでもこの物語が作品として存在しているのだから、何かしら矛盾にならない理由があるのではないかと読者は考えるはずである。読者が思いつくであろう、矛盾の解決法は以下のようなものである。

 解決法1
  Aは本当は死んでおらず、生きていた。
 解決法2
  Bも死んでおり、二人はあの世で結婚した。
 解決法3
  AとBが結婚したのは、Aが死ぬ前のことである。
 解決法4
  Bが結婚したのはAではなくAにそっくりな別人である
 解決法5
  Bが結婚したのはAだと書かれているが、Aではない

 解決法1と2どちらも、読者が省略された場面があるのだと仮定している点で同じである。解決法3・4・5は省略された場面がないとした場合にどうにかして矛盾を生じさせないために導き出された答えである。
 3の場合、読者は物語の作者(あるいは語り手)のことを全面的に信用していると言える。語られていることはすべて真実だとして、それでも矛盾を生じさせないためには出来事の起きた順番と語られる順番が異なっているに違いないと考えたのである。
 4と5は似ているが同じではない。4の場合、読者は語り手が読者に対してAではない人物をAだと思わせるように書いているのではないかと想定している。5は、語り手が嘘をついていると読者が見なしている。

 読者が解決法5を選択することは少ないと思われる。
 しかし、この物語はそもそもフィクションであることは読者の全員が知っている。Aという名前の人もBという名前の人もいない。にも関わらず、読者はこの物語を信用してAがBが存在すること、Aが死んだということ、AとBが結婚したということを受け入れようとするのはどういうことか。Aが存在するということはフィクションなのだから、BがAと結婚したということもフィクションだとみなしてもいいはずなのに、読者は一般にそうは判断しない。

 もし、この物語にもう一人の登場人物Cがいるとして、三において、次のような行動をとったとしたらどうか。

 三(改) Cは「AとBは結婚した」と言った

 この時、読者はまず最初にCが嘘をついているのではないかと疑るはずである。なぜなら、Cの行動の前にAは死んでいるからである。
 しかし、なぜAの死は信用し、Cの発言に対しては嘘の可能性を探るのだろうか。Aの死を語ったのが、語り手なのかCなのかの違いなのだろうか。だったら、Cの発言を語っているのも語り手なのだから、どちらも信用に値すると考えるのが素直なのではないか。

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