色に名前を付けることはできるし、できない
塗料には必ず名前がついている。名前のない塗料は売りにくいから名前がついているのは当然のように思えるが、塗料の色という特徴にのみ注目したとしてもこの世界には無限に近い色があるのに、どうしてある特定の名前を付けることができるのかと一瞬不思議にも思うかもしれない。けれども、それほど難しい問題ではない。
突き詰めて考えてみれば、たとえば、赤色Rという名前の塗料があるとして、その塗料を作るには、材料AとBをある比率で混ぜ合わせて、Xという処理をある時間だけ行うことで再現ができると定義してしまえばよいからである。実際にはもっと複雑ないくつもの材料と処理が組み合わさっているかもしれないが、いずれにせよ、塗料の色というのは材料と処理の組み合わせと同義であり、だから名前をつけるための定義が可能なのである。
もし、赤色Rという名前の塗料と青色Bという名前の塗料を1:1で混ぜ合わせて、紫色Pという名前の塗料を作ったとしても、さらにそこに黒色Bという塗料を加えて、黒紫色BPという名前の塗料を作ったとしても同じである。複雑ではあるものの、ひとつひとつ分けていけば、最終的にはいくつもの材料といくつもの処理の何重にも渡る組み合わせで成り立っていることに変わりはない。
色の名前、というものにはもう一つの利用場所がある。空を見て「青い」と思うとき、レモンを見て「黄色い」と思うとき、そこに名前を付けられた色が存在することになる。空の青色、レモンの黄色、このときに用いられる色の名前に対して、定義を行うことは不可能である。
壁に、先ほどの赤色Rという塗料を家の壁に塗ったとして、それを見て赤色Rだと定義することはできない。なぜなら、その壁を見たときに晴れていたのか曇っていたのか、時刻は昼間だったのか、西日がきつい夕方だったのかはたまた夜だったのか。暗い部屋から出てきてすぐ見ることもあれば、炎天下を歩き続けた後に見ることもある。塗ってすぐかもしれないし、10日前に塗ったかもしれない。いずれにせよ、だれがいつ見たのかによって、全く異なる色として知覚されてしまうのである。だから、その壁を見ても、ある人は真っ赤というかしれないが、あるい人はダークレッドと言うかもしれない。塗料を作る時のように定義しようにも、どれだけ定義しても定義しきれないのである。
このように物事には、同じことに接しているようでも二つの異なる方向から接しているということが往々にしてあるように思えて仕方がない。
定義可能なアプローチと定義不可能なアプローチがひとつの事象に同時の存在可能であるということを、「定義の非対称性」あるいは「定義可能性の一方向性」と呼ぶことにする。呼ぶことにしたらどうなるか。知るかボケ。
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