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どこまでだって行ける

寝る準備をしていると、ふと頭に浮かんだ曲を聴きたくなることがある。昨日がまさにそんな日で、急に思い出したメロディーが頭から離れなくなって、早く寝ないといけないけれど、どうしても聴かないと済まなくなった。

夫と娘の寝息をかすかに感じる寝室で、物音を立てないように慎重にベッドに入り、ごそごそiPhoneにイヤホンをセットした。

布団にくるまって再生したその瞬間、目を瞑ると図書館にいる私。

人通りがほとんどない、一番奥のカウンターに座る私。

大学二年生の冬。雪がちらつく日曜の昼下がり。

しんと静まり返った空間で、ノートPCを開いて、この曲を聴きながら一人で英語の勉強をしていた。

感じていたのは小さな孤独と、それに勝る期待。将来への期待。自分への期待。望むところに、どこまでだって行けるんだって信じてた。

あの時の、まっすぐで切実な自分と、図書館のひんやりした空気の感触まで思い出せたような気がして、温かくなったベッドの中でやっとひとり安堵する。

ああ良かった。
私はあの頃から何にも変わってない。

歳をとることが怖いと思うことがあった。
それは老いへの恐怖だけではなくて。

毎日が選択の連続で、その先に今が成り立っているのなら、歳をとることは選択しなかったことがたくさん積み上がっていくということ。するべきだった、したかったけどしなかった、ということが溢れかえっているということ。

「20代のうちにやっておくべきこと」みたいな言葉に分かりやすく心が揺れる自分が情けなくて、怖くなった。

なんで私は海外で働いていないんだろう、なんて考えてしまう。

でも今ここにいるのは、そう自分で選んできたから。海外に行く機会は何度か作れた。でもその時々で、そうしない選択を自分でしてきたから。

立ち止まってると「20代のうちにやらなかったこと」に圧倒されて、どんどん息ができなくなる。

だから私はなるべく憧れと期待を持ち続け、未来に向かって少しでも努力を重ねていたい。好きな曲をうんと聞いて、綺麗な景色を見て、美味しいものを食べて、そしていつだって腐らずに。

この気持ちを忘れそうになったらまたあの曲を聴けばいい。

大丈夫、私はすぐに、何度だってあの冬の図書館に飛んでいける。


美味しいおやつを食べたい🍪🍡🧁